2019/05/04

「知識・情報を得るだけ」では・・・

知識や情報を得ることは、とても大切な事です。例えば、私たちはこれまで、そうした知識や情報を精査する事無く、与えられるままにそれを鵜呑みにして、競争・争いに精を出して来た訳です。

そして今、私たちはようやくそうした現実に目覚め、自らスピリチュアル的な情報を吸収し始めています。それは、私達にとって目から鱗の落ちるような知識と情報のオンパレードです。

しかし、逆にその新鮮さが、「それだけで満足」してしまうと言う大きな弊害を生み出してもいます。つまり、「知る事だけ」で達成感を感じてしまい、実際に「自分がそうある」事へと繋がっていないのです。


特に「日常での取り組み」ではなく「アセンションと言う情報」に意識を向けている人の多くは、次から次へと関連知識・情報を読み漁り、次はどうなる?次はどうなるの?と、アセンション物語の読者になりきってしまい、その物語の当事者になろうとはしていないのかも知れません。

つまり、その取り組みが極端に、「知識・情報の収集」に偏ってしまっているのだと言う事です。

先にも書いたように、確かにそれは大切な事であり、これまでの分離的な現実を生み出していたのは、そうした「知識・情報の欠如」であったと言う事に違いはありません。

しかし、だからと言って、ただひたすら食傷気味に知識・情報を収集し続けているだけでは、これまでの分離的な経験から抜け出すことは出来ないのです。

それではただ、ストレス・苛立ち・鬱憤が積もり積もって、自分がワクワクと幸せに生活できないのは、社会がいつまでたっても分離的なままである事に問題があるのだと言う考えに陥ってしまいます。

つまり、自分に経験創造の力は無く、自分は分離的な社会の被害者であると言う訳です。しかし、それではスピリチュアル的な知識が本当に理解できているとは言えないんですね。

「思考の領域」においてはスピリチュアル的な知識を理解しつつも、「信念の領域」にまでそれが十分に浸透していないと言う事です。

もし、信念の領域にまでその知識が深く浸透すれば、私達の現実は「知識・情報の収集」ではなく、「実際にそうある事」へと取り組みの中心が移って行く事になるのです。

その時、つまり「知識」が「あり方」として自らの行動の中に表れ始めた時、私たちはようやく、新しい自分と新しい時代の到来を実感し始める事が出来るようになります。

既に4次元の領域へと踏み込み始めている人達は、思考的あるいは感覚的に「知識」と言う段階を乗り越えて、「あり方」の中で自らの前進を表現・実感し続けています。

つまり、この経験世界を共有している全ての人は、みんなが横並びの波動にある訳ではなく、おおよそ低位4次元~中位3次元くらいの波動領域に散らばって存在しているのです。

そして、低位4次元にある人達は、既に競争的な社会とは距離を取りながら、「調和的な社会と自らのあり方」を実践的に模索しているのです。

その人達は、アセンションをする人たちであって、そう言う意味においては特に誰から心配される事も無く、既に自立したアセンションの道を着実に前進していると言えます。

中位3次元辺りにいる人は、既に3次元に残る事を決めている人たちであり、それもまた尊重されるべき選択で、特に誰から心配されるようなものでもありません。

問題は、高位3次元の波動を持ちながら、4次元領域に踏み出そうかどうしようかと迷っている人たちです。そうした人たちに多く見られるのが、「知識・情報の収集」に精を出して、「自分のあり方」を通じての行動的な一歩を踏み出していない状態です。

なぜなら、それを行動に表すには、とても「大きな勇気」がいるからです。

しかし、大きくなくとも「振り絞った現実的な勇気」で進んで行く方法もあります。それは、「無理のない自分のペースで確実に前進して行く」事です。

「知識・情報の収集」と言うのは、それを受け入れるベースを持っている人であれば、比較的容易に次々と吸収して行く事が出来ます。

しかし、そうしたハイペースで「あり方・行動」の中にそれを表現して行こうとすると、そこにはかなりの無理が生じる事になり、大きな勇気も必要になって来るのです。

例えば、都会生活を離れて田舎に移住したいと思った時に、いきなりそれをしようと思うと、多くの場合は腰が引けてしまい、自分を変える事を諦めて社会が変わってくれる事を待ち望む自分へと後戻りしてしまいます。

そして、食傷気味にネットサーフィン等で情報収集をしながら、社会が変わってくれるのを待つ姿勢に定着してしまうのです。

そこは、4次元に近い「3次元の波動領域」です。

しかし、これまでの過程で、4次元的な現実への渇望が十分に熟成されている人は、大きな勇気を持って大きな一歩を踏み出すこともあるでしょう。また、その人の個性が行動的な性質を強く持っていれば、熟成するまでも無くパッと行動して、あちこちぶつかりながら成長して行く人もいるでしょう。

しかし、多くの人はそこまでの熟成も無く、そこまでの行動的もないと言うのが一般的です。

そう言う場合には、「思考(理想)」を「自分のペースで現実の中に落とし込んで行く」方法・過程を、確実に取り組んで行く事を意識すると良いのかも知れません。

つまり、自分を変える事をあきらめて社会の変化を待つのではなく、身近な事から変化を柔軟に進めて行くと言う事です。紙に書くなどして、そうした意識を曖昧にする事無く。

それを実践出来る人には、それが「ワクワクに従う」と言う事にも重なって来ます。しかし、それが実践できるまでにスピリチュアルな世界観が浸透していない人には、「そんな小さな変化ではオモシロくない」となります。つまり、地に足が着いていないのです。

そして、社会に愚痴を言いながら、社会が自分を変えてくれる事を待つことになります。つまり、依存に基づく3次元の現実に留まると言う事です。

だからと言って、あせって無謀な行程を自分に課して苦悩し怯えながら結局は進めない、あるいはペースオーバーで玉砕すると言うのもどうかと思うのです。

つまり、自分のいる現実、自分に適したペースを「受け入れる」所から始めなければ、焦って空回りするだけで結局は進めないんですね。急がば回れと言う訳です。

しかし、だからと言って、自分はのんびりやだからと悠長に構えている余裕はもうありません。オーバーヒートしない程度で、自分に最速のペースで進んで行く必要があります。物事には常に「タイミング」と言うものがあり、私達のアセンションにもまた、それに適したタイミングがあるのです。

あまり遠くを見て焦らずに、日常の身近な現実からで良いので、確実に4次元の波動領域(調和的なあり方)に近づいて行く必要があるのはそのためです。

アセンションの過程と言うのは、2012年から始まった訳でも2016年から始まった訳でもありません。人類のアセンション過程は、もっとずっと以前から始まっている事であり、私達各自のアセンション過程は、この世界に生まれたその瞬間から始まっていたものです。

今はもう、最後の最後、大詰めのタイミングの中にあります。

そうした諸々の現実を受け入れて、今出来る事からコツコツと確実に実践に移して行きましょう。


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