2019/05/21

「時間」と言う物差し

私たちは、常に「今」を生きています。

今と言うのは「今・ここ」の事であり、現在とは異なります。現在と言うのは、過去→現在→未来と言う時間の流れにおける部分的な今の事です。

そもそも、「時間」と言うものは実在するものではありません。それは、「変化」を社会共通の認識で捉えるために人間が生み出した「概念(考え方)」に過ぎないのです。


地球が1周したら24時間、地球が太陽を1周したら365日。では、地球の自転速度、あるいは回転速度が変わったら?

つまり、全ての変化において、常に変わらずに規準となり続ける「時間」と言うものは、実際には実在しているものではないんですね。

存在・経験の全ては、相対的な関係によって成り立っているものであり、時間と言う経験もまた絶対的なものではないのです。

私たちは、社会としての共通認識によって変化を捉えるために、過去→現在→未来と言う時間的な考え方を生み出して来ました。

そこでは、過去と言うのは「記憶」を時間的な概念の中に置き換えたものであり、未来と言うのは「可能性」を時間的な概念に置き換えたものであると言えます。

つまり、「今・ここ」と言うのは、記憶(過去)や可能性(未来)、目の前に広がる現在が同時に存在している感覚領域を表しているのです。そうした領域から世界を経験して行くと言うことが、「今・ここ」を生きると言う事になります。

私たちは、経験の主体を過去(後悔)においたり、未来(心配)に置いたりして、心が感じる現在(ワクワク)を押さえ込む生き方に陥りがちです。

あるいは、今の中でワクワクを楽しむのではなく、現状を無視して未来(結果)に囚われた行動に向かう事もあります。

3次元の現実では、全体をバラバラに細分化してその一部を細かく追及して行くことが知性だと思われて来たために、全体を把握できずにバランスを欠いた取り組みに向かいやすいのです。

こうした事を点として、バラバラに分離した知識として捉えようとすると、頭が混乱して訳が分からなくなってしまうのかも知れません。

点を線として、線を面として捉えて行くように、本質と言う種を見つけたら、そこから根幹を育て、日常現実の中でゆっくりと枝葉を広げて行く事が大切になってくるのです。


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿