2020/09/30

「高まるエネルギー」と「カウントダウンの秋」

エネルギー環境・エネルギー感覚において、 今回の秋分についてもやはりそれなりに大きな変化がありました。


秋分より10日前くらいから、ややエネルギーが高めになって来ていたのですが、19日頃から明確な上昇が始まり、21日頃までにある程度の高まりを見せ、その高さが24日頃まで継続しました。


動画の方ではこの時点で情報を出し、今回の秋分のエネルギーは夏至の際に訪れた大きな波動上昇を馴染ませるような調整的な要素の強いものだと伝えました。ピークはそれほど高くはなかったとも。しかし、25日に更に一段の波動上昇があり、その後の下降もなくそのま波動の高い状態が継続しています。



今回のエネルギーの特徴は、1.波動上昇のピークはそれほど強くはなかった。2.上昇後の下降が全くみられなかった。3.刺々しく新しい波動域を切り開くと言うより、夏至によって高まったエネルギーを馴染ませるような性質であったと言う事です。


そうしたエネルギーの感じ方は、各自の歩み具合によって様々に感じられると思うのですが、個人的には物質的経験世界からエネルギー的経験世界への移行がいよいよ本格化してきているという事を感じています。


それは、今になって突然にそれが始まったというものでは無く、これまでもそうした移行の過程を進んで来ていたのですが、この1年くらい、そして何よりも今年の「夏至」の際のエネルギー上昇によってそれが「徐々に」ではなく「本格的に」進みだしている様です。今回の秋分については、それをより明確に強める感覚が25日頃から浸透してきています。


「肉体(炭素系)的な感覚」から「エネルギー体(クリスタル・ケイ素系)的な感覚」への移行と言うものが、知識ではなく経験・感覚として捉えられています。それは、ある意味で10年前から始まっていた事なのですが、今年の夏至を通過したことによって明確にその意味を感じ理解することが出来るようになっています。


人類全体としてのアセンションは2037年、あるいは、早くても2030年ころであろうと見ていますが、個人的にはそこまで時間がかかるとはとても思えません。これまでの個人的な感覚拡大の流れからして、2~3年後には大きな壁を突き抜けるところまで届くのではないかと感じています。


ここまでのエネルギー感覚拡大の流れと言うのも、だいたい自分の見通して来た過程・ペースを辿っており、暗闇の中を手探りで進んでいると言うよりも、自分の中に行程表を持っておりそれに沿って進んでいるという感覚がとても強くあります。


物質的現実における日常としては、9月に入ってから家の中の整理整頓を進めています。色々と事情があってかなり雑然とした状態になっていたのですが、この先の社会的激動に備えて気持ちよく動いていけるように、整理された状態への移行を進めています。


色々な意味で、ここから先は再び大きく動き出さざるを得ない社会情勢になって行くと思っています。1つ目のポイントとしては、11月3日にアメリカ大統領選挙が迫って来ているという事。ポジティブ・ネガティブの両サイドから、それぞれに大きな動きが仕掛けられてくる可能性があります。特に、後が無いネガティブサイドから起こされる可能性はとても高いと思います。


2つ目には北半球での穀物収穫時期を迎えて、いよいよ食糧危機が表面化してくる可能性が高いこと。3つ目としては、金融・経済的な歪みが維持出来ない所まで近づいているという事です。


個人的に大雑把な枠組みとしては、それなりに準備が出来たものの、更に踏み込んだ最終的な備えの段階を進めて行きたいところです。


私たちはこの春に予行練習をしたはずです。いつでも簡単に安価で手に入れる事が出来たものが、ある時点を境として、突然に手に入れる事が出来なくなってしまうと言う経験を。

2020/09/03

エネルギー体の変質

各自の アセンションの進行に伴い、その身体は「炭素系」のものから「ケイ素(水晶)系」のもの、つまりクリスタルボディあるいはライトボディと言われるものへと変容して行くのだと言われています。


これまでは言葉・知識として、そんな情報に触れながらも、実感としては特にその様な炭素系・ケイ素系の違いなどを意識したことはありませんでした。


こうした経験を言葉で伝えることは難しく、無理に伝えようとすれば逆に誤解された解釈へと向かってしまう事にもなるために、個人的な経験を過去からの流れにおける1つの覚えとしてここに書いておこうと思います。



個人的にエネルギー感覚が表れ始めてから、もうすぐ丸十年になろうとしていますが、その感覚の深化・拡大は大きな流れの中でゆっくりと加速的な変化の過程を辿り続けています。


そうした経験から思うことは、ライトボディの覚醒というのは、例えば人類規模での最終的なアセンションの瞬間などに一気に起こるものではなくて、いくつものエネルギー体としてのリハビリ・再起動・目覚めの過程を重ねて徐々に辿って行くものであると言う事です。


つまりライトボディ、あるいはスピリチュアル的にもそうなのですが、「覚醒」と言うのは「瞬間ではなく過程として起こるものである」という事です。


エネルギー感覚(ライトボディ)覚醒の過程を、そうした意味において10年辿って来たのだと思っているのですが、今月に入ると同時に、冒頭に書いたような「炭素系からケイ素系へのシフト」と言われて来た部分について強く意識が集中しています。


それは、瞬間的に起こったという意味ではなく、先にも書いたようにこれまでの変化の過程を経て表れて来たものなのですが、エネルギー感覚が水晶の透明な部分に対して、ピタリと波長と言うかバランスを一致させています。


最近、また1つの水晶を買い足し、さらにしまってあった一部の水晶を出して来た事によって、ある程度の透明度がある水晶を身近に置くようになりました。


これまでは透明度に関係なく大きな水晶を好んでいたのですが、何となくある程度の透明度があるものにひかれだしたのです。多分、こう言う所が、守護霊だとかそうした存在たちの働きによるものではないのかなぁと思ったりもするのですが。


そして、その透明な部分を見つめる時間が増えていたのですが、9月に入ると同時に先にも書いたようにそうした水晶と自分のエネルギー感覚がピタリと一致していると言う状態が表れ始めました。


これまで、エネルギー感覚が深化・拡大の過程を辿りながらも、それが具体的にどのような形で落ち着いて行くのかと言うものが見えていなかったのですが、そこに1つの落ち着きどころとしての方向性を捉え始めた様な感覚を持っています。


私たちはこれまで炭素系の肉体と言う経験の中にいたために、肉体を基準としてそうした変化を捉えようとしてしまうのかも知れませんが、実際には私たちはずっとエネルギー体としての存在であり、そのエネルギー体としての経験を低波動(つまり炭素系の肉体)様式のものから高波動(ケイ素系クリスタルボディ・ライトボディ)様式のものへといくつもの過程を経て組み替え続けているのだと言う事です。


少し話は変わりますが、最近気づき始めた事の1つに、少なくとも自分についてはほぼ毎日のように夢を見ている様であると言う事があります。私は基本的にほとんど夢を覚えておらず、平均との比較において夢を見る(覚えている)割合がとても低いと自覚していました。


ところが最近、実際には毎晩のように夢を見ている様であると言う事に気づき始めたのです。目が覚めた瞬間には、どうもそれを覚えている様なのですが、次の瞬間には全て忘れてしまっていると言った感じです。


しかし、目が覚めた瞬間に直ぐにその夢の記憶を手繰り寄せれば、ある程度は夢の記憶を引き寄せることが出来るのだと言う事に気づき始めました。そう思っていながらも、実際に起きた時にはボ~ッとしていて、そんな事は忘れている事が多いのも現実ではありますが。


そして、気づいて直ぐにその記憶を手繰り寄せようとすると、自らのエネルギー体が、水晶に共鳴していると言うかエネルギー的なバランスが一致している時と同じ様な状態へと向かって行く事にも気づきました。


一般的に炭素系の肉体的経験の中にいる状態では、私たちのエネルギー体と言うのは大きく前方に偏った状態にあるのですが、ケイ素系のエネルギー的な経験の中では、エネルギー体の中心は前方ではなく自分の中心にあり、外へ向かう意識(エネルギー)に偏った状態から、外からのものと内からのものとが拮抗してバランスの固まった状態へと移行しています。


特に今年の夏至を越えてからは、そうした歩みの一歩一歩の歩幅がかなり大きくなっており、今月には早くも秋分が控えています。


秋から冬にかけては、いよいよ社会的にも第2ラウンドのゴングが鳴る事になって行くと思いますし、そうした中で私自身は個人的な大混乱後のここ数年は、安定した静かな時間を過ごして来たのですが、ここからはボチボチと日常のほうも慌ただしくなって行くのかも知れません。

2020/09/01

食糧危機について

 世界の食糧需給について、自分の中には2つの具体的なイメージがありました。1つは、現実社会における予測として、金融・経済(つまり、物流)的な混乱を主とするもので、もう1つは神示において伝えられる様な、絶対的な食糧不足によるものです。


田畑に食料はあるけれど、金融・経済システムの崩壊によってそれが十分に人々に生き渡らない場合、それは人々の調和的な在り方によって乗り越えられる可能性が高いです。しかし、絶対的な食糧不足が起こり始めた(田畑にも食糧が無い)場合、事態はより困難なものであると言う事が出来ます。



私は神示(チャネリング)等を信じているために、絶対的な食糧不足が来ると言う事は事実として受け入れながらも、そこへとつながるシナリオを想定する時、どうしても金融・経済(物流)の混乱がメインとして考えられ、田畑から食糧が無くなるという状況にはあまり繋がって行きませんでした。そうした状況があっても、世界規模での食糧危機にまで繋がるとはイメージしにくかったのです。


ところが、特には今年に入ってから急速に田畑から食糧が無くなって行く状況が現実化され始めています。それは世界規模での食糧危機として、現実の延長線上にイメージしていたものよりもより悪く、神示によって伝えられて来た現実へと向かい始めているのだと言う事です。


そうした危機への引き金を引く(先陣を切る)のは、中国になりそうです。中国では、今も続く長江流域での大洪水、北部・南部での干ばつやバッタの異常発生、ここ数年で広がった豚コレラとその再発による養豚業の壊滅的被害、覇権争いによる米豪からの穀物・肉の輸入規制等(アメリカに対しては解除し、一気に記録的な穀物輸入を開始)によって、共産党や国民の間にかなりの食糧的な危機感が広がり始めているようです。


アメリカではこれまで、本来は輸出するべき穀物が国内に滞っており、それが急激に輸出され始めている訳ですが、今度は在庫不足と穀物価格の高騰へと繋がり始める懸念があります。アメリカの穀物生産も、南西部の異常な渇水と北東部の今春の異常な洪水によって、かなり厳しい状況にあるからです。


オーストラリアも近年は渇水の影響によって小麦の輸出国から輸入国になっているようで、イギリスでも今年は小麦の不作によって輸入する必要が出て来そうだと言われています。


ヨーロッパ各地でもやはり異常な渇水と洪水とが繰り返されており、南米でも地域によって大雪やバッタの異常発生で大変な被害を受けています。


私たちが現在食べているお米は、基本的に昨年収穫したものであり、今からこの秋に収穫されて行くものが、これから一年にわたって食べられて行くものになります。つまり、そうして今年世界に訪れた農業的困難の影響は、主にこの先1年に渡って表れてくる傾向があるのだと言う事です。


そうした中で驚いたことがあり、日本人の主食はお米であると長年言われて来たのですが、近年、金額ベースでは家庭におけるパンの年間購入額がお米の購入額を上回っているそうです。さらに主食としては麺類もそれなりにあんですね。


つまり、お米の自給率が実質的に100%とは言っても、小麦の輸入がストップしてパン・麺類がなくなった時に、お米で賄うことが出来るのは一人1日1合程度でしかないそうです。1合とは、茶碗に大盛1杯程度です。


お米については国家的な備蓄もある訳ですが、それは1~2年程度の国産米の不作を前提としたものであって、世界的・総合的な食糧不足を前提としたものではありません。まあ、お米以外にも野菜・イモ類など、国産のものはある訳ですが・・・。


例えば、日本の多くの地域では、秋の台風によってダムを満水にしてという事が1つの基準になって治水が行われています。しかし、今年の台風は台湾から朝鮮半島へと向かっており、例年のように日本列島を縦断して行くような進路をとっていません。


世界各国の異常渇水・洪水と言うのは、これまで地球上にあった循環的な気流のサイクルが大きく乱れ、あるいは崩壊してしまっている事による部分が大きいのですが、日本にもそうした形でその影響が表れているのだと言う事です。


私が住んでいるのは田舎の農業地帯なのですが、それも大きな用水がダムからの水を運んでいるからであって、用水が通る前にはイモしか育たないような痩せた土地であったのだと言われています。


そして、そのダムの貯水量は現在30%台で急速に低下し始めています。本来ならここで台風によって満水に向かって行く時期なのですが、今年の台風もキチンと雨を落としに来てくれるでしょうか?


まあ、それはそれとしても、今年の冬から来年・再来年にかけて、世界的な食糧危機がいよいよ現実化されて来る可能性が高まっているようです。


それは、2~3日のうちに突然に始まると言うものではないですので、この先の状況の推移を見ながら、各自の置かれた家庭・地域などの環境によって、自分に合った備えというものを今のうちからボチボチと考え進めておくと良いのではないかと思います。


そして、こうした経験の全ては、アセンションという流れの中での必然であり、その意味をよく理解してスピリチュアル的な側面からこの時代を乗り越えていく必要があるのだという事です。