2020/09/01

食糧危機について

 世界の食糧需給について、自分の中には2つの具体的なイメージがありました。1つは、現実社会における予測として、金融・経済(つまり、物流)的な混乱を主とするもので、もう1つは神示において伝えられる様な、絶対的な食糧不足によるものです。


田畑に食料はあるけれど、金融・経済システムの崩壊によってそれが十分に人々に生き渡らない場合、それは人々の調和的な在り方によって乗り越えられる可能性が高いです。しかし、絶対的な食糧不足が起こり始めた(田畑にも食糧が無い)場合、事態はより困難なものであると言う事が出来ます。



私は神示(チャネリング)等を信じているために、絶対的な食糧不足が来ると言う事は事実として受け入れながらも、そこへとつながるシナリオを想定する時、どうしても金融・経済(物流)の混乱がメインとして考えられ、田畑から食糧が無くなるという状況にはあまり繋がって行きませんでした。そうした状況があっても、世界規模での食糧危機にまで繋がるとはイメージしにくかったのです。


ところが、特には今年に入ってから急速に田畑から食糧が無くなって行く状況が現実化され始めています。それは世界規模での食糧危機として、現実の延長線上にイメージしていたものよりもより悪く、神示によって伝えられて来た現実へと向かい始めているのだと言う事です。


そうした危機への引き金を引く(先陣を切る)のは、中国になりそうです。中国では、今も続く長江流域での大洪水、北部・南部での干ばつやバッタの異常発生、ここ数年で広がった豚コレラとその再発による養豚業の壊滅的被害、覇権争いによる米豪からの穀物・肉の輸入規制等(アメリカに対しては解除し、一気に記録的な穀物輸入を開始)によって、共産党や国民の間にかなりの食糧的な危機感が広がり始めているようです。


アメリカではこれまで、本来は輸出するべき穀物が国内に滞っており、それが急激に輸出され始めている訳ですが、今度は在庫不足と穀物価格の高騰へと繋がり始める懸念があります。アメリカの穀物生産も、南西部の異常な渇水と北東部の今春の異常な洪水によって、かなり厳しい状況にあるからです。


オーストラリアも近年は渇水の影響によって小麦の輸出国から輸入国になっているようで、イギリスでも今年は小麦の不作によって輸入する必要が出て来そうだと言われています。


ヨーロッパ各地でもやはり異常な渇水と洪水とが繰り返されており、南米でも地域によって大雪やバッタの異常発生で大変な被害を受けています。


私たちが現在食べているお米は、基本的に昨年収穫したものであり、今からこの秋に収穫されて行くものが、これから一年にわたって食べられて行くものになります。つまり、そうして今年世界に訪れた農業的困難の影響は、主にこの先1年に渡って表れてくる傾向があるのだと言う事です。


そうした中で驚いたことがあり、日本人の主食はお米であると長年言われて来たのですが、近年、金額ベースでは家庭におけるパンの年間購入額がお米の購入額を上回っているそうです。さらに主食としては麺類もそれなりにあんですね。


つまり、お米の自給率が実質的に100%とは言っても、小麦の輸入がストップしてパン・麺類がなくなった時に、お米で賄うことが出来るのは一人1日1合程度でしかないそうです。1合とは、茶碗に大盛1杯程度です。


お米については国家的な備蓄もある訳ですが、それは1~2年程度の国産米の不作を前提としたものであって、世界的・総合的な食糧不足を前提としたものではありません。まあ、お米以外にも野菜・イモ類など、国産のものはある訳ですが・・・。


例えば、日本の多くの地域では、秋の台風によってダムを満水にしてという事が1つの基準になって治水が行われています。しかし、今年の台風は台湾から朝鮮半島へと向かっており、例年のように日本列島を縦断して行くような進路をとっていません。


世界各国の異常渇水・洪水と言うのは、これまで地球上にあった循環的な気流のサイクルが大きく乱れ、あるいは崩壊してしまっている事による部分が大きいのですが、日本にもそうした形でその影響が表れているのだと言う事です。


私が住んでいるのは田舎の農業地帯なのですが、それも大きな用水がダムからの水を運んでいるからであって、用水が通る前にはイモしか育たないような痩せた土地であったのだと言われています。


そして、そのダムの貯水量は現在30%台で急速に低下し始めています。本来ならここで台風によって満水に向かって行く時期なのですが、今年の台風もキチンと雨を落としに来てくれるでしょうか?


まあ、それはそれとしても、今年の冬から来年・再来年にかけて、世界的な食糧危機がいよいよ現実化されて来る可能性が高まっているようです。


それは、2~3日のうちに突然に始まると言うものではないですので、この先の状況の推移を見ながら、各自の置かれた家庭・地域などの環境によって、自分に合った備えというものを今のうちからボチボチと考え進めておくと良いのではないかと思います。


そして、こうした経験の全ては、アセンションという流れの中での必然であり、その意味をよく理解してスピリチュアル的な側面からこの時代を乗り越えていく必要があるのだという事です。

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