2019/09/01

「エネルギー世界」を感じる

一般的には、アセンションを信じていると言う人は、まだまだ「変な人・変わった人・ちょっと心配な人・大丈夫?」と言った印象をもたれる傾向にあると思います。

ただ、その一方で、アセンションを含めたスピリチュアル的な世界観が、人々の間に急速に広がっていると言う事も、そうした書籍の売れ行き等から見ても明らかな事実であると言えるでしょう。

その様な世界観と言うのは、世界的に古くから存在してはいたのですが、直接的に現在へ繋がる流れと言うのは、1960年代後半頃からアメリカで広がり始めたニューエイジにあると思います。


必ずしも関係はありませんが、ヒッピーの広がりなどとも関連性があると言えばイメージしやすいかも知れませんね。そこから時間をかけて、人々の間に広く深い浸透の過程を辿っているのです。

こうしたアセンションを含む世界観と言うのは、古くは神からの啓示と解釈されたチャネリングによって、主に人類にもたらされて来ました。

宗教と言うのも基本的には、チャネリング(神からの啓示)によって伝えられたものがその土地やその時代の解釈によって、様々な形に歪められて来たものなのです。

では、そうして人類にもたらされた世界観を取り除いて、いわゆる現実的(物質的)な世界観の中で生きる事の意味を考えてみると、どうしても自らの存在をより価値のあるものとして見る事が出来ないんですね。

なぜなら、それらの全ては「死んだらお終い」と言う一言に向かって収束して行く事になるからです。

死んだらお終いであるのなら、今ある世界に適応して効率的に目先の目的(物質的・肉体的な欲望)を達成する事がより良い選択となってしまうのです。そして、私たちの社会では、実際にそれが一般的な生き方となっています。

しかし、そうした生き方を受け入れて行くためには、実はそうではないと言う多くのサインを無視しなければなりません。超能力・幽霊・UFO・チャネリング・その他の超常現象などなどですね。

しかし、私について言えば、それらのどれをも無視する事が出来なかったんですね。「不思議だ、どうなっているんだろう?」

そして、それと同じくらい不思議であったのが、人々がそれを必死になって否定し、そこに興味を持つ人々を馬鹿にする事でした。

結局それらにも全て理由があって、この社会ではその様になっていると言う事なのですが、それも自分の思いに素直に進んで行かなければ見えてこない事なんですね。

死んだらお終い、そして、幸せになるためには競争に勝つ必要がある。生きるためには競争に背を向ける事は出来ない。

私の場合は、「そもそも、そんな人生ってわざわざ生きる価値があるだろうか?」って思ったんですね。

そして、スピリチュアル的な世界観を知るに至って、これなら生きる価値がある様な気がするとも思ったのです。

つまり、当初に感じていたのは、どちらが真実かと言う事ではなく、自分としてどちらの生き方に価値を見出すことが出来るかと言う事でした。

スピリチュアルな世界観が真実であるのなら、そう生きる事に価値があるでしょうが、仮に物質的な世界観が真実であったとしても、自分にとってはスピリチュアル的な世界観に基づいて生きる方が効率的に幸せを感じられると思ったのです。

つまり、どちらが真実であっても、自分としてはスピリチュアルな世界観に沿って生きる事の方が幸せへの近道であると感じていました。

従って、私がこうした生き方を選択し始めた当初は、真実かどうかでは無く、自分が何に価値を見出すことが出来るかと言う点がポイントとなっていた様に感じます。

そして、色々と調べて行くうちに、物質的・競争的な世界観と言うのがいかに人間によって創作されたものであるかと言う事が分かって来る事になります。

スピリチュアルな世界観が真実かは解らないけれど、少なくとも物質的な世界観は信じるに値しないものであると言う事が解って来たのです。

そこまで来てもなお、スピリチュアルな世界観を完全には信じきれなかった理由は、その多次元的な世界の在り方を自分で感じ、実感する事が出来なかったからなんですね。

それは、感じ取る能力が無かったと言う事でもあり、より重要なのは、感じ取っても多次元的な仕組みから表れているものとして理解する事が出来なかったと言う事です。

例えば、「夢」などはその典型的な例ですね。

そうした壁を乗り越え始める切っ掛けとなったのが、エネルギー感覚の表れであったと言えます。2010年晩秋の事でした。

物質的な世界観の中では存在するはずの無いエネルギー的な感覚が、実際に自分の中に表れはじめたのです。

それによって徐々にではありますが、物質的だと思っていた経験の全てが、実はエネルギー的な経験によって生み出されていたのだと言う事が解って来る事になります。

それは、本当に徐々にゆっくりと進んで来た経験なのですが、その前進が止まったことは無く、しかもゆっくりとではありますが、常に加速を続けている事でもありました。

エネルギー感覚が直接的に表れたのは2010年ですが、後になって、そうした感覚が表れるための下準備であったのだと解ることになる強烈な片頭痛は、1990年頃から表れ始めていたのです。

エネルギー感覚が表れはじめた当時、頭部に激しい痛みをもたらす強いエネルギーの圧縮は、ビー玉くらいの大きさで、眉間からこみかみ付近を揺らめきながら移動し、頭部の中心(松果体)に移動すると、前頭部を包み込む耐えがたく強烈な片頭痛をもたらしました。

それから9年近くがたち、今では、そのビー玉ほどであった強いエネルギーの塊が、自らの経験世界(目の前の世界)を覆い尽くす規模にまで拡大しています。

おそらく、こう書いてしまうと誤解が生まれると思いますので補足しておくと、それは、肉体を包み込んだエネルギーがさらに膨張を続けて目の前の世界を覆うまでに大きくなったと言う意味ではありません。

ある意味ではその逆で、肉体を包み込んだエネルギーの中に、物質的な世界が仮想的な姿によって収まって来たと言う事です。

例えば、目の前にスクリーンがあってそこに世界が映し出されているとします。

そうした経験に入りきってしまっていると、そこには本当に山があり海があり青い空が広がっているのだと思う事でしょう。それが、肉体と言う経験に入りきっている私たちの状態です。

そこから、エネルギー的な現実に目覚めると言う事は、知識と感覚によって、それは本当の世界では無くて、仮想的に生み出されていた経験だと気づく事なのです。

先程の例で言えば、前に進もうとしてスクリーンにぶつかり、あれ?何だこれは?どうも本当の世界ではないみたいだぞと知識と感覚によって気づき始めると言う事です。

私たちの経験と言うのは、視覚を物質世界の雛形として意識の中に映し出し、その視覚的な映像に沿って、自らのエネルギー感覚(エネルギー体)であらゆる感覚的な経験を重ね合わせ、物質世界と言う経験を生み出しているのです。

そう考えれば、死後の世界やタイムトラベル、テレポーテーション等もそれほど不思議な事ではありません。意識の中に映し出している経験世界の雛形を、それぞれの世界や場所・時代に移し変えれば良いだけの事です。

全ての人に一律にどうなるとは言えないのですが、皆さんも肉体的な死を迎えると、基本的にはそうして意識の中に映し出される経験世界が、いわゆる死後の世界(アストラル界の副次的な次元)の映像に切り替わり、その映像に沿った経験を生み出して行く事になるのです。

そうした事から、エネルギー感覚が世界を包み込むほどに拡大すると言う表現も間違いではないのですが、より正確には、エネルギー感覚の中に物質的な世界・経験が収まって来たと理解する方がより正確だと言えるのです。

何年もの時間をかけて少しずつ経験が変化して来ているために、意外とそうした変化を自覚しにくいと言うのも実際のところでもあります。しかし、よくよく考えてみると、根本的な感覚が10年以上前の経験とは明確に異なっていることに気付く事になるのです。

もっとも大きな変化は、経験世界の中心が「目の前の物質世界」にではなく、「自らのエネルギー感覚の中心(ハート・松果体)」に移ったと言う事かも知れません。

言葉で書くといまいちパッとしませんが、自分の経験を包み込む感覚的変化であるだけに、色々な意味で経験が変わって来るんですね。それは、時間・空間的な経験についても言えますし、その他の全ての経験についても言える事です。

自分としての経験が、肉体からそれを超えたエネルギー体に移り始めていると言った方が理解しやすいかも知れませんね。

ただ、随分とそうした感覚が馴染んで来てはいるものの、例えば経験が感情的に大きく振れたり、思考に囚われて色々と悩みだしたりすると、以前の様に経験世界の中心が自分の外側に経験される形で、以前の様に物質世界に飲み込まれてしまいます。

だから、加速し続けているとは言っても、やはり少しずつの変化であることには違いないんですね。そして、実際にそうした経験移行の過程と言うのは、三歩進んで二歩下がる事の繰り返しでもあるのです。

ただ、感覚的な変化については、ゆっくりとではありながらも加速しながらの前進あるのみで、日々それを実感する事が出来ているために、とても興味深い経験となっています。

物質世界から見れば、水面下にあたるエネルギー世界を中心にする形で変化が加速して来たのですが、いよいよ水面上にも大きな渦が表れ始めるのが、2019年からの年になるのだと思います。


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4 件のコメント:

  1. また質問しても宜しいでしょうか?
    「感情に対してためこめれない人」と「感情に対して平然をよそえる人」
    後者の方が社会的に強くて生きやすいのですが…
    魂的には、どのような仕組みになるのでしょうか

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    1. こんにちは、ご質問歓迎ですよ。(^ー^)

      少しズレるかも知れませんが、確かに「正直者が馬鹿を見る」と言うか、スピリチュアル的にある事を目指す人にとって、納得しにくい現実って多々ありますよね。

      コメント欄では少し長くなるかも知れないので、次の記事のテーマにさせて頂きますね。明日か明後日にはアップできるように書いてみたいと思います。

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  2. こんにちは~。
    4日ほど前にウサギの夢をみて、何の意味もない夢だったのですが、それから連日ウサギのシンクロが。「ウサギ?だからどうしたんだ、」という感じなのですが、今INDEEPを読んだら中国の月面探査機「玉兎2号」が何かを発見したというの記事、、、。それはそうと、世界はなんとも不思議な時間帯に入った感じですね。

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    1. ウリッセさん、こんばんは~。(^ー^)

      まさにシンクロしてますね。月と言い南極と言い、ゆっくりとディスクロージャーが進み始めていますね。ただ、どこかで一気にスピードアップする可能性が高いのでしょうね。

      夏休みも終わりいよいよ9月に突入しましたが、今年の秋・冬は、何が起こってもおかしくない状況が出来上がって来ていますよね。

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