ひふみ神示の中で繰り返し警告されており、実際にそうなるであろう大問題の1つが食料に関するものであると思います。
こうした問題に接する時には、「恐れ・不安」で読んでしまうとかえってマイナスの作用が生まれてしまう事があります。そのため、私たちは魂としての永遠の存在であり、そうした経験の中から学びを得るために今ここにいるのだと言う視点を失わない事が、極めて大切な事になると思います。
それを確認した上で進めて行きたいのですが、皆さんは、日本の食料自給率とその前提が崩壊した時に何が起こるのかをご存知ですか?
昨年の日本の食料自給率(カロリーベース)は、37%であったと言われています。これは、皆さんが日頃から食べている食料の平均で37%が国内で生産されたものであると言う事だと思います。
例えば、私たちの主食としての米は97%となっています。100%でないのは、煎餅などの加工用の米として、いくらかの輸入米が利用されているのではないかと思います。
つまり、ご飯としての米は、ほぼ100%が国産だと言う事です。すると、もし何かがあって食料の輸入が止まっても、取り合えず米だけはみんなに行き渡る訳だと誤解されている人もいるのかも知れません。
食料自給率と言うのは、その時に必要とされたものが国産でどれだけまかなえたかと言う事なんですね。
つまり、米の自給率約100%とは言っても、増え続けるパンや麺を主食としている部分までまなかう計算になっていないのです。
パンや麺は小麦から作られており、それはほとんど(88%)が輸入に依存しているんですね。
また、牛乳や卵の自給率も100%に近いのではないかと思うのですが、牛や鶏のエサと言うのもほとんど(約80%)が輸入品なんですね。
つまり、ここで言われている食料自給率と言うのは、社会が安定した状態の時のものであり、世界的・国内的な緊急時にでもそれだけのものは確保できると言う意味ではないのです。
これまでは物あまりの時代が続いて来たために、食料についても生産者(生産国)が消費者(消費国)に買って下さいと言う状況にありました。
そうした中で、例えば日本では若者が農業(田舎)から商工業(都会)へと言う流れが長く続いてきましたよね。その結果、食料自給率が下がり続けて来た訳です。
しかし、それは日本だけの事ではなくて、世界的にもそう言った傾向にあるのだと思います。例えば中国では農民工と言って、農業では生活出来なくなった人たちが、仕事を求めて都会に向かい、安い人件費で中国の経済成長を支えて来たんですね。
そして今、異常気象・災害によって、世界的な規模で農業生産が大打撃を受け続けています。
すると、これまでは消費者の側が何を買おうかと選択していた訳ですが、いずれかの時点で生産者の側がどの人・どの国に売ろうかと選択する側になる事は必然的な流れなんですね。
過去にも、世界的な小麦の不作の際には、生産国が国内消費を優先させるために輸出禁止措置り、世界的に小麦価格が急騰した例が実際にあるのです。
あるいは先日、サウジアラビアで石油施設が大規模な攻撃を受けて、世界的に原油価格が上昇した訳ですが、日本の農業の最大の長所でもあり弱点でもあるのは、機械化され過ぎていると言う事なんですね。
例えば、中東での戦争や大規模な事故、海峡の封鎖、金融・経済危機などによって仮に石油の輸入が止まってしまったら。
あるいは、南海トラフ等の巨大地震の津波によって、石油を荷揚げできない、あるいはそこから生成施設に運び各地域のスタンドなどへ運ぶ輸送ラインが途絶えてしまう、あるいは電柱などの送電設備が倒壊している可能性もありますよね。
その様な場合、多くの国でも生活は困難になるのですが、日本の場合は、生きて行く事さえ難しくなってしまうのです。
現在、農業者の多くは高齢者の方々ですよね。そうした人たちが、トラクター等の機械を使う事で日本の農業を支えているのです。耕作だけではなく、農作業のあらゆる段階が機械化されているんですね。
それなら皆で協力して、鍬で耕すしかないと思うかも知れませんが、そうした人力による諸々の作業道具と言うものの大半は、農業博物館や倉庫の奥深くに眠り使えるかどうか?と言った状態なんですね。
鍬くらいはあっても、皆でやるのではとても数が足りません。
化学肥料の原料もほぼ100%が輸入に頼っており、昔のように肥溜めを流通させるような仕組み自体が無いんですね。
つまり、この国では平時の食料自給率が37%であり、ライフラインの遮断による危機的な状況が長期間続いた場合(世界的な金融・経済崩壊や首都直下・南海トラフ等での巨大地震、富士山噴火による首都圏への降灰など)には、食料自給率は数パーセントからそれ以下にさえなりかねないと言う事なのです。
だって、電気やガソリン無しでお米などが作れますか?それが1年続かなくても、植え付け時期などのタイミングを逃すだけで、ワンシーズンを棒に振ってしまうことになるのです。
そうした現状の中で、冒頭のひふみ神示の警告に戻る訳ですが、神示の中では、一時期、食料が手に入らなくなり、かなり厳しい状況に陥る事が伝えられています。
それでもエゴを大掃除してあれば生き残れるから、木の根でもかじって我慢しておけと言う事なんですね。
まあ、それも神示に書いてあると言う事であって、だから絶対にそうなるのだと言うつもりはありません。
しかし、個人的にはそうなる可能性は、極めて高いと思っています。皆さんについては、各自で判断して頂けたらと思います。つまり、当たろうが外れようが実際問題として、私が皆さんの責任を取れる訳では無いと言う事です。
そして、これも最初に書いたように、それを肉体的な視点から「不安と恐れ」によって受け取らないで欲しいんですね。常に魂としての、ポジティブな視点を持ち続けて欲しいのです。
肉体的な視点と言うのは、生存本能・弱肉強食的な価値観へと引き寄せられて行く性質を持っています。エゴが大掃除できていないと、どうしてもそうしたネガティブな方向へと向かいやすいのです。
一方で魂の視点と言うのは、この世界を貴重な経験の舞台と捉えて、そこで調和的な経験を創造して行こうと、ポジティブな方向へ向かうものなのです。
その時に、どの様な準備をすれば良いのかと言う事については、ブログでも電子書籍でもこれまで何度も書いて来ましたよね。まあ、特別なウルトラCがある訳ではなく、基本的な備えをきちんとするだけなんですけれどね。
多分、今準備の出来ていない人は、過去に読んでも動いていない人である可能性が高いのかも知れません。つまり、ここにまた同じ繰り返しを書いても、やはり読んで知る事で不安ながらも安心してしまい、結局は行動に移さない可能性が高いんですね。
ただ、それが悪いと言う訳ではありませんよ。私の書く事が絶対に正しいのだと言うつもりはありませんし、実際に過去にも何度も「来るぞ~来るぞ~、いよいよ来るぞ~!」と書きながら、実際にはまだ起きていないのも事実ですから。(笑)
ただ、私はここに書いたことを含む諸々の情報・状況から、少なくとも「無理なく準備できる事」は準備しておいた方が良いのかなぁと思って動いている訳で、今日はこんな事を書いてみました。
0 件のコメント:
コメントを投稿