2019/09/11

一霊四魂

一時期に比べると、エネルギーの変化について書くことが少なくなって来ていますが、エネルギーはますます強くなり続けています。

それについては、環境的にエネルギーが強くなっているのか?個人的な感覚が強くなって来ているのか?と言う問題があると思うのですが、過去のチャネリング情報(アイシャ・ノースさん)等と自らの感覚の整合性から言えば、双方が平行して高まっているものと思われます。

そうした中で、今日はエネルギー的な領域をも含めた上での、私たち人間と言う経験のあり方について書いてみたいと思います。


日本の古神道の考え方の中には、「一霊四魂」と言う捉え方があります。つまり、私たちと言うのは、1つの霊と4つの魂の重なりによって成り立っているのだと言うものです。

こうした捉え方に接した時に大切なのは、例えば古神道にこだわって学ぶと言う事ではなく、日本の古神道や欧州のスピリチュアリズム、あるいは中国の気功等などを通じて、「エネルギー的な世界を学ぶ」のだと言う事です。

例えば、古神道を学んでいるとそれにこだわって、スピリチュアリズムや気功を学んでいてもやはりそれぞれの枠にこだわると言うのでは、自らの真理に対する学びを阻害する事になってしまいます。

本来は、真理を学ぶためにそれぞれの側面からの探求が進められているのに、その1つにこだわると言う事は、真理に対して著しく視野を狭める事になってしまうのです。

例えば、一霊四魂についてスピリチュアリズム的な視点から見れば、四魂とは4つのエネルギー体であり、アストラル体・コーザル体・メンタル体・エーテル体を表しているのだと言う事が分かってきます。

そして、一霊については、言葉と言う表現における限界があり必ずしも正確ではありませんが、おおよそ「意識」と言う感じの解釈で良いのではないかと思っています。

さらに私たちは、3次元4次元の現実の中では、その上に肉体をまとっている事になるのです。

つまり、まず経験する「意識」があり、経験を成立させるために「4つのエネルギー体」があります。その上に、この次元では物質的な経験を成立させるための「肉体」をまとってもいるのです。

ここで言う「意識」とは、「観察者の視点」です。ただ、それを観察しているもの・意識です。考えたり感じたりするのは、また別物なんですね。

意識は考えたり感じたりはしません。考えるのは思考であり、感じるのは感情・感覚です。意識はただ、それらの全てを観察しているもの・存在です。

そして、肉体は肉体ですね。物質的な世界との接触を可能にする、意識とエネルギー体に繋がるより低波動な領域です。意識とエネルギー体だけでは、直接的に物質世界に関わる事は出来ないですよね。

では、その間の波動領域に広がるエネルギー体とは、何なのかと言う事になって来ます。

私自身が感じて経験している事から言えば、私たちが経験している「感覚」の多くは、エネルギー体によって生み出されています。

特にそれを感じやすいのは、皮膚・体内感覚や空間的な感覚などです。しかし、その他の肉体的な感覚の多く(あるいは全て)も、エネルギー体によって生み出されているものと思われます。

そもそも肉体と言うあり方自体が、エネルギーによって生み出されている1つの表現形態なんですね。

そうした中で、アストラル体については、別に「感情体」と呼ばれる事もあります。感情が生み出される上で深いかかわりを持っているようです。感情の源とも言えるのかも知れません。

また、思考についてはメンタル体やコーザル体あたりが深く関わっているようです。

その辺の事については、異なる考え方もあったりするために細かな事はともかくとしても、大雑把な捉えとしてエネルギー体にはそうした諸々の作用があるのだと言う事を知っておくと良いのかも知れません。

私にはエネルギー感覚が無いと思われている方も多いのかも知れませんが、肉体的に感じている感覚自体が、そもそもエネルギー体によって生み出されているエネルギー感覚の1つの形態であるのだと言えるのです。

私が、瞑想の際には「感覚の中に浸る」事が大切だと書くことがあるのは、それによって、肉体感覚が実はエネルギー感覚であると言う事を思い出すためなんですね。

その上で、病気と言う経験についても、少し見ておきたいと思います。

私たちは、主に病気を肉体的な視点からのみ見ているのですが、例えばオーラを見る事が出来る人に言わせれば、病気と言うのはオーラとしてのエネルギー体内に、
流れの滞りや淀んだ色などとして見えるそうです。

つまり、肉体やそれぞれのエネルギー体と言うのは、別々に切り離れたものが重なり合っている訳ではなくて、それぞれが1つに繋がる一体的な存在内の、異なる波動領域であると言う事です。

私たちの具体的な経験から言えば、メンタル・コーザル体辺りにマイナス思考と言う低波動を持っている人は、その影響によって感情的にも落ち込んだ低波動状態になりやすく、肉体的にも溜息が出たりストレスも感じやすくなります。

そうした状態がさらに悪化すると、肉体においては免疫活動が衰える事によってガンになってしまったり、病気になりやすくなるんですね。

基本的に病気と言うのは、その様に食生活や運動不足などの肉体的な要因からのものに限らず、思考的・感情的(精神的)なエネルギー体(領域)側からの要因によって肉体に表れてくるものでもあると言う事です。

先ほども書いたように、肉体とエネルギー体と言うのは別々のものが重なっているのではなくて、同じ1つの存在の中にある波動の低い部分と、波動の高い部分であると言う事です。

そのために、精神的なエネルギー領域で波動が滞れば、肉体的な波動領域にもその影響が表れ、その逆もあるのです。それらは一体的に存在しているのですから。

正確には覚えていませんが、ひふみ神示には次のような感じの事が書かれています。

「身魂とは、身と魂ではないぞ。一体的に身魂であるのざぞ。」

例えば、気功や手かざし、レイキ等のように、エネルギーによって病気を治すという事は、エネルギー的な高波動領域にある「エネルギーの滞り」に高波動を流し込むことで、その詰まりを解消するものであると思います。

配水管が詰まった時には、ガッポンガッポンと水圧をかけて水の詰まりを解消しますよね。それと同じ事ではないかと思うのです。

あるいは、低くなっている波動を高く押し上げると言う見方も出来るのですが、どうやってそれを押し上げるかと言えば、やはり、滞りを解消して、本来その人がもつ高波動の流れを引き出すと言う事なんですね。

それはあくまでも例えとしての表現ではありますが、そんなイメージかなと。

これからの時代は、医療においても科学においても、物質としての領域に留まらない、よりエネルギー的な高波動領域にまで意識を向けた視点から、新しい発見が切り開かれて行くのだろうなぁと思っています。


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2 件のコメント:

  1. 砂見様
    やっと自分と同じような人に出会えました。砂見さんと同じように私も三次元的な価値基準を多くの部分で手放すことになりました。ある時は自ら進んで、ある時は強制的に放り出されて。体に起きている症状もよく似ています。酷くなりはじめたのは2000年頃から、卒倒したり、痛みで一睡もできなかったり、「これ以上強くなったら日常生活どころか命も無くなるな」と思っていましたが、もちろん容赦なく強烈になり続けています。当時と比較すると今は数万倍というレベルかもしれません。まさに一日一日強くなっていっています。当初は眉間とハートチャクラにでしたが今は全域に亘っています。もう通常の医者にかかっても自分自身で症状の説明ができません(もちろんそんなことはしませんが)。耳鳴りように感じているものも音量や音の重なりが増しています。物理的な音との差は物理的な音を遮ることがないことです。私の周囲にはもう殆ど誰も居ません。転居を機にテレビは辞めました。以前との一番大きな違いは自分が自分ではないような感覚、断固として持っていた欲や個性にうまくフォーカスできないというか、、、うまく表現できてないですね。これから自分に何が起こるのか、今のところ何も分かりませんが、既に後戻も戻るところもありません。自分で体現していく以外他の選択肢は無いようです。それでも「こんなことあるのか?」という迷いから幾度となく同じ周回トラックをめぐることもしばしばです。私は1958年生まれのどうやらスターピープルのようです。ここ(地球)を殆ど知らずにいた為大変なことばかりでした。では砂見さんのこれからの活動楽しみにしています。

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    1. はじめまして、ありがとうございます。なかなか、こう言った類の話と言うのは、みんなで経験を語り合ったりする事も出来難いので、上手く経験して行く事が難しいですよね。

      1958年ですと、第一波の波に乗って来た方で、今よりも、そして私の世代よりも一番難しい時代を切り抜けて来た事になりますね。

      ここから世界的な仕上げの波乱を乗り越えて、念願のスターピープル的な世界を目指し、お互いにもう一分張りを頑張って行きたいですね。(^-^)

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