2019/09/14

う~ん、始まってしまった

ここの所、社会的な変化については軽い小休止に入っている様に感じられ、そうした状況を俯瞰しつつ、心の隅では、次はどこから動き出すのかなぁとも思いながら眺めていたのですが、突如、思わぬ所から大きな動きが起こりました。

それは、社会的なものではなく、個人的な日常の中での事になります。震源が自分自身ではないので具体的な事は書き難いのですが、「あ~っ、来たかぁ・・・」と言った感じです。

「経験世界が分離し始める」と言う事については、少なくとも皆さんはそれを知っているかと思います。これまで、経験をともにして来た人たちが別々の経験世界に振り分けられて行く過程では、ありとあらゆる所から様々な出来事が起こり始めます。


ただ、共に4次元へと進む魂であっても、肉体を維持したまま進む人もいれば、肉体的には死ぬ事によって4次元へ転生する人達もいるんですね。その辺は、魂として持ち込んだブループリント(人生の大雑把な予定)によって異なって来るのです。

例えば今回の人生の中で、3次元的な経験の仕上げとして、より分離・競争的な経験からの学びを選択して来た人達は、今生きている人達の中においては、早めに生まれてくる必要があったんですね。

すると、無事に学びを終えたとしても、肉体年齢的には寿命に達しつつあるのです。そうした場合には、仮にアセンション(イベント)の時まで生きていられなくても、転生によって4次元の経験世界へ移行する事になります。

また、年齢的な寿命に限らずとも、死へ至る病気等によって3次元の学びを仕上げようとする場合もあり、そうした時も、必ずしも死んでしまったから4次元へ行けなかったのだとは限りません。

アセンション出来るか出来ないかは、必ずしも「肉体的なあり方の問題」ではなく、「魂として必要な学びをクリア出来ているかどうか」なのです。

ただ、いずれにしても、これからの時間帯においては、それぞれの魂がこの人生に持ち込んだ課題の仕上げに入って行く訳で、色々と厳しい状況がそこかしこから湧き上がり始めると言う事です。

そうした経験は、必ずしも個人として分離した機会ではなく、それに関わる全ての人達の共同創造的な学びの機会になります。

例えば、誰かが倒れて後遺症が残ったと言う場合であれば、それは本人はもちろん、家族の日常をも激変させる事になるのです。

私たちとしてはそうした機会の中で、これまで頭の中に蓄積し、自らの在り方の中への浸透を進めて来たスピリチュアルについて、全体のバランスの中で(無理をして自分が潰れてしまう事無く)上手く発揮して行くことが求められます。

私たちは、みんな幸せになろうとして一生懸命に生きているんですね。

ただ、私たちの社会には、一生懸命に競争(争い)をする事で幸せになれると言う、誤った世界観が植え付けられており、その結果、幸せになるための努力によって、不幸が生み出され続けていると言う現実が多いのです。

私たちは、どの様に生きれば良い(幸せになれる)のかと言う点について、あまりにも無知であったと言う事です。

それは、良い悪いと言う問題ではありません。ただ単に、魂がまだ幼い(転生における経験・学びが浅い)と言う事なのです。

人を傷つける人が悪いと言うのは、肉体的な視点からは確かにそのとおりなのですが、魂的な視点からは、単に幼いと言う事になるのです。そして、良い悪いではなく、「そこに生まれる経験から何を学び取るか」と言う点が重要になります。

ひふみ神示に、次のような言葉があります。「悪は悪ならず、悪にくむが悪。」

つまり、悪的な存在が無ければ、そもそも3次元的な経験を成り立たせる事は出来ません。そのため、一生懸命に人生を生きて、その結果、悪的な生き方になることは必ずしも魂の視点からは悪ではないのです。

その一方で、一見すると善の様であっても、自らのその善を伸ばす事に励むのではなく、悪的な人を見つけ出してはそれを憎む事に精を出しているのでは、魂の視点からは悪(良くない・学びが少ない)と見えるのです。

それって、マスコミが大衆に対して散々に煽って来た事ですよね。マスコミと言うのは、ネガティブな支配者の所有物であるために、大衆を3次元の波動領域に留まらせるための道具として使われていたんですね。まあ、それによって3次元的な学びの機会が提供されていたと言う見方も出来る訳ですが。

話を戻しますが、悪とは魂が幼いと言う事になります。その魂は、真面目に幸せになろうとしているのですが、幼いが故にそれが悪と言う形で表れてしまっているのだと言う事です。

例えば、先日取り上げたアスペルガーの話にしても、悪とは異なりますが、それも結局は魂が幼い、あるいは魂は成熟しているものの、この経験環境への経験が浅い(未成熟)であると言う事です。

だから、本人に共に協力し合って行こうと言う意思があるのであれば、人が困っている時には、出来る範囲で手を差し伸べて行く必要があるのです。

それはこれから始まる様々な混沌の中で、どの様な場面においても当てはまる事だと思います。

皆しあわせになりたいんですね。ただ、(魂が)幼いが故に、おかしな事になってしまっているだけなのです。

本当に、幸せになろうと一生懸命に頑張って、ただ、その向かうべき方向が分かっていないためにどんどんと沈んで行ってします。その様な人たちと言うのは、今の時代の中にはとても大勢いると思うのです。

なんかねぇ~、そう言うの見てると涙が出てくるんですね。

「このままではいずれどうなる」と分かっているので、前もってそれに注意を促すのですが、本人にはそれが理解出来ないために、頑張って抵抗をして来るのです。

そのため、結局はこちらも諦めるしかなく、その人が実際に困った状況へと転がり落ちて行くのを見なければならないのです。

それも、その人の魂が必要としていた学びの機会であると言う事であり、お互いの関係の中で、相手の主体性を邪魔しない形で手助けして行くしかないんですね。

今回、そうした類の出来事が1つ起きて気付いたのですが、その人がそうなると言う事は、何故か自分としては知っていたんですね。

実際にそうなってみて、何でこうなるって知ってたんだろう?と考えてみるのですが、「だって、他になりようがないでしょ。」と言った感じで、あまり具体的には理由が分からないんですね。

あまり細かくは分からないですが、だいたい、家族等については、それぞれがどんな過程を辿って行くかと言う事が、自分の中では当たり前の事のようにイメージがあるんですね。大雑把ではありますが。

今回、一人ドンピシャでそれが起こってしまったのですが、結局、その人の進む道を変えられませんでした。そして、他に変えた方が良い人についても、自分には変えられない事が分かっているんですね。

それは、その人の中で固く決まってしまっている事であって、外からではどうする事も出来ないのです。軽くでも口出しすれば、喧嘩でもあるかの様に必死の反論が返って来るだけで、手のつけようがないんですね。

結局は、そうなるのを見届けるしか無いのだと言う事です。そして、懸念が現実となってから、可能な範囲でサポートして行くしかないのです。

しかし、本質的な方向性において共鳴しあえる部分を持っている人であれば、気づきの機会を作る事によって、意図するようなポジティブな影響を与える事が出来るんですね。

「共鳴できない人達から多くの学びの機会を得て」、「そこで得た学びを、共鳴できる人達に分け合って行く」と言った感じです。それが、私たちの持つ1つのスピリチュアル的学びにおける、経験サイクルの雛形なのかも知れません。


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14 件のコメント:

  1. こんばんは 砂見様の感覚にて始まってしまったというのは、急に始まってしまったのでしょうか?それともじわじわ来ていてついに始まってしまったのでしょうか?
    だんだん別れていくという時期に来たということですかね
    丁度、先日フォトンベルトの関連で、来年2月ごろまでに、いろいろ精算しておいた方がよいと聞きかじったところでした。

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    1. spring livingさん、こんばんは。(^-^)

      今回の件については、エネルギー的あるいは社会的にと言うのではなくて、「個人的な日常における現実」の中で、極めて身近で突然に大きな困難が起こったと言う事です。

      それは、身近な人の命にも関わる事で、家族など周囲の人達の日常にも、大きな困難として影響するものです。

      この世界のエネルギーは確実にハイピッチで上がり続けており、これからの3年くらいの中で、各個人や社会において、次々に大きな困難が起こり始めるものと思われます。

      そうした流れの中で、自分においても突然に第一波が襲い掛かって来たのだと言う事です。

      社会的にも九州や関東では、台風や大雨によって、最近そうした困難がスタートした人たちも多いだろうと思います。それは、世界的にも各地で大規模に起こり続けている事です。

      それは、ここからさらに急加速しながら、各自の現実を飲み込んで行く事になります。

      その時、それを避けてコントロールしようとしてはいけないんですね。そうした対応を取ると、困難はますます大きなものとなって行きます。

      大切なのは、その流れを受け入れて委ねる事です。まず、抵抗せずに受け入れて、その中でスピリチュアル的にある事によって、調和的に乗り越えて行く事が重要なのです。

      ひふみ神示には、鳴門の渦から抜け出すためには、その流れにまかせて委ねる事だと書かれています。焦って抜け出そうとしてもがくと、渦の中に飲み込まれてしまうんですね。

      2月までに清算・・・と言うのは、まだ清算出来ていない人向けの解釈であって、既に次の段階にある人はそれに応じたメッセージを見ていると思います。

      何が起こるからいつまでにと言う事も、状況把握として意味があると思います。しかし、それ以上に今の自分に意識を集中して、常に自らのスピリチュアル的な目覚めに取り組んで行けると良いのかも知れません。

      そうは言いながらも、私も散々にいつ何が起こると言う情報に振り回されて来ました。そう言うのって、ワクワクしますもんね。だけど、結局は自分が変わらなければどうなりようもないんだと、やっと気付き始めた今日この頃です。(^-^)

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  2. ムハマッド2019年9月15日 8:23

    去年辺りにサラリーマンを辞めようと思ってたんですが、結局辞めずに現在に至ってます。
    扶養家族4人では、やはりなかなかハードルが高かったです。

    でも不思議なもので、「アセンション出来なかったら、それはそれでしょうがないじゃん!」って思うようになって、逆に順調です(笑)。
    社会的にも色々あるでしょうけど、ある種の開き直りで、ドンと構えて行くしかないかと…

    ちなみに私の身近でも、全て上手く行かずに死に至った人が複数います。
    大きく動いているのは間違いの無い事実のようです。

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    1. ムハマッドさん、こんばんは。

      そうですよね、家族を扶養している立場にありながら転職に踏み切ると言うのは、かなりハードルが高いですよね。

      ただ、必ずしも転職するかしないかがアセンションの成否に直結する訳ではなく、そうして自分の中で上手く切り替えて、出来るところから確実に自分のあり方を変えて行けるといいのかなぁと思います。

      目指すのはみんな同じ山頂であっても、そこに至るには無数の道が存在する訳で、必ずしも最短コースを通らなくても、自分にあった道をコツコツと進んでいけるといいですよね。(^-^)

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  3. 砂見さん、こんにちは。ひろにぃです。ご無沙汰してます。いつも読ませては頂いているのですが、iPhoneからはここには書き込めないので^^;

    こればかりは仕方がないですね。人には自由意志がありますから、自分から見てそっちは違うんじゃないかと思っても、彼らからしたら正しいと思っているか、どうしようもないかのどちらかですからね。強制はできません。

    それより、自分は本当に正しい道を選んでいるのだろうか?と少し不安になることもありますが、まあ、そのときはなにか気づきがあるだろうと思うことにしています。

    その方との詳しい状況はわかりませんが、本人に気づきがなければ周りがいくら言ってもだめなんですよね。(自戒の意味も含めてですが(笑))

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    1. ひろにぃさん、お久しぶりです。(^-^)

      そうですね、私自身についても、自分で分かっている事でも出来ていなかったりしますし、高次元存在から見れば、きっとそんな私に「分かってないなぁ」とイライラしているのかも知れません。

      しかし、そこでパッパと答えを示されても、結局私は、自分以上のペースでは理解し進む事は出来ない訳で、みんな誰でもそう言う事なのだろうと思います。

      ひふみ神示で言われるには、和すとは異なるタイプの人たちが調和する事であって、同じタイプの人たちが調和する事は別に和していると言う程の事ではないんですね。

      イライラせずに、相手のペースを尊重した上で、上手く調和して行けたらなぁと思っています。(^-^)

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  4. つかぬことをお聞きしますが、ここで言うスピリチュアル的にあること・調和すること・スピリチュアル的な目覚めとは具体的にどういうことですか?
    それぞれ具体例をあげていただけませんか?

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  5. おはようございます。(^-^)

    言葉の違いにはこだわる必要のある時もありますが、ここでは特にこだわる程の使い分けがある訳ではなく、そんな感じ・方向性と言ったところです。

    言葉では含意が限定されて理解される事が多いため、似たような言葉を重ねてニュアンスの幅を広げる事が時々あります。

    基本的にどれもが、「仲良くする」と言った感じの解釈で良いと思います。それは、単に人とだけではなく、動物や植物、それらトータルとしての自然環境なども含む全てです。

    その中には、肉食を控える(動物と仲良く)、除草剤等を控える(土・微生物と仲良く)、洗剤を控える(水と仲良く)など、広い意味であらゆる行動・価値観の中に当てはまります。

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  6. 返信ありがとうございます。

    つまり
    スピリチュアル的にあること≒調和すること≒スピリチュアル的な目覚め≒全てと仲良くすること 
    という意味で使っているのですね?

    ということは質問を「仲良くする」とは具体的にどういうことですか?と言い換えねばなりませんね。

    考えてみれば「仲良くする」とは漠然とし過ぎて理解が難しいです。
    確かに××を控えることは、小さな括りである(○○と仲良く)のごく一部の例かもしれませんが、(○○と仲良く)の本質ではありません。

    例えば(虫と仲良く)とはどういうことかを考えます。
    愛でたり、死にそうなのを助けたり、特定の種を保護したり、殺虫剤を控えて人や動植物が害を被っても良しとすること?
    自然界の調和を乱した虫を一定数殺したり、手軽なタンパク源として食べたり、研究の為に標本にしたり、工芸品に加工して広く伝えるような関わりは仲が良くない?

    某企業は殺虫剤を開発しています。人は虫を殺し、ある虫は植物を殺し、蚊は人類をたくさん殺しています。
    殺虫剤のおかげで人や植物が助かり、企業は社員と家族を養い、虫への感謝と鎮魂の供養をします。
    蚊は食物連鎖の下部となって捕食者を養い、ゴキブリは強かに耐性をつけ人の生活に適応して繁栄し、企業の存在意義となります。

    奪われ、利用され、管理され、排除され、殺し殺される関係から調和と言えるものが見つけられます。
    単純な仲良しこよしという話ではないと思います。

    ここで言う全てと「仲良くする」とはどういうことでしょうか。

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    1. う~ん、そうですねぇ。同じ言葉であっても、文脈から意味はその都度変わりますので、あまり言葉にこだわらずに「感じる」ことを大切にした方が良いかも知れません。

      ただ、時にはこうして理解を深める事も、確かに大切かも知れませんね。

      虫と仲良くに限らず、何でもそうなのですが、0か100かではなくてバランスの中で考えて行くことが大切だと思います。

      モンシロチョウが飛び、セミが鳴く事で季節を感じたり、子供がカブトムシを捕まえて大事に育てる。ハチが蜜を集めて果実や野菜の受粉をしてくれる事に感謝をする。

      虫と仲良くと言うのは、そんな感じではないでしょうか?

      虫を見つけて悪意から踏みつけたり、農薬を撒いて生態系を壊すような規模で虫や自然を汚染する事は良くないですよね。

      家の中などで、ハエや蚊を殺す事は問題ないと思いますが、そうであっても化学薬品系の殺虫剤で空気ごと汚染するよりは、ハエ叩き等の方が自分や家族のために良いですよね。

      ただ、ゴキブリなどが隙間に入った場合は殺虫剤が便利なのかも知れませんね。ただ、そうであってもゴキブリ団子等で対策していればそうした機会も大きく減らす事が出来ます。

      ゴキブリ等が居るから企業が必要とされているのであって、企業のためにゴキブリがいる訳ではないかなと思います。そうした企業の必要性が無くなれば、また、他に必要とされる企業が興ることによって経済の新陳代謝は常に行われて行くものです。

      基本的に虫と言うのは、大型の動物などと異なり集合意識によって生存しているものと思われますので、食用・標本などについてはそこに感謝があり必要とされているのであれば良いのかなと思います。

      これらはあくまでも私の考えであって、絶対的な価値観であり、皆がこれに従わなければいけないと言うつもりはありません。

      実際、人々にはこうして様々な考えがあり、その違いを無理に統一するのではなく、お互いの違いを参考にして自らの考えをより深めて行けたら良いのかなと思います。(^-^)

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    2. 返信ありがとうございます。

      すみませんが、虫の例えにつられて虫の話の列挙に話がずれてしまっているようです・・・

      主題は、ここで言う
      スピリチュアルであること≒調和すること≒スピリチュアル的な目覚め≒全てと「仲良くする」こと
      とはどういうことか?です。

      過去記事を読むとかなりの頻度で出てくる言葉なので、筆者にとって重要な事だとわかります。それにしては曖昧なまま使われているようなので気になりました。

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    3. それらの言葉・表現と言うのは、「総括的・全体的な表現」であるために、それを具体的に上げだしたらキリがありません。

      例えば、「日本」と言う表現の中にも、自然・地域・文化・人・経済・政治などあらゆる側面がありますよね。それについて、具体的に日本とは?と聞かれても困ってしまいます。

      「スピリチュアルである」という事についても、それはあらゆるあり方の中に反映される事であって、具体的にどう言うことかと聞かれても、それを上げだしたらキリが無く、それについては各自の中でそれぞれに深く探求して、全体から感じ取って行くしかないんですね。

      簡潔な言葉で、こうですと表現しきれるものではないのです。

      そうした中の1つの例として、前のコメントでは虫に対しての話を出した訳ですが、それも1つの「スピリチュアル的なあり方」でありますし、それ以外にもあらゆるものとの関係の中に反映されるものであると言う事です。

      相手に答えを求め過ぎずに、少し時間を置いて自分の中でじっくりと咀嚼してみて頂いた方が良いのかも知れません。

      私は私の考えをあなたの参考として出す事は出来ますが、あなたのための答えを私が与える事は出来ません。参考は参考として利用し、自分の中にある答えをじっくりと探求してみて頂けたらと思います。(^-^)

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  7. わからない、言葉にし得ないのなら仕方ありませんが、私は正解を求めているわけではなく、このブログでのあなたの意見を聞いているのです。
    国語のテスト問題風に書けば「あなたが言う全てと仲良くとは何か。考えを述べよ」です。

    これは1つの正解を求める理系の話ではなく、個人の見解を言語化する文系の話です。

    過去記事でも高頻度で使われる言葉だからこそ、簡潔とはいえずとも、ご自身なりに言葉にされるものと思っていましたが、非常に残念です。

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