2019/05/08

人事を尽くして天命を待つ

私は子供の頃からカッコイイ言葉が大好きで、偉人の名言や座右の銘となる様な言葉に強い影響を受けて来ました。

ブログなどでは「賢人は和して同ぜず、凡人は同じて和せず」と言う言葉を時々取り上げても来ました。特に、みんなと同じ(3次元的なあり方)へと向かう傾向のある私達の社会では、その違いを正しく理解しておく事が大切だと思うのです。

そして、もう1つ同じくらいに好きな言葉があります。「人事を尽くして天命を待つ」ですね。これを座右の銘とされている方も、多いかも知れません。




これこそが、私達がアセンションへと向かう上での姿勢だと思うんですね。皆さんは人事を尽くされていますか。(^ー^)

人事と言うのは、自ら取り組むべき事ですよね。そして天命と言うのは、その結果や自分の取り組みだけでは届かない事柄の成り行きと言った感じでしょうか。

さて、ちょっと自己診断をしてみましょうか。下記の中から、アセンション(スピリチュアル的な目覚め)に対する自分の取り組みが、どれに当てはまるかを選択してみて下さい。

1.バッチリOK!
2.それなりに出来ている
3.あまり出来てないかも
4.ダメ、出来てない

キチンとどれか選択して下さいね。それが、自己評価と言う事になります。

では、その自己評価を踏まえた上で、「人事を尽くして天命を待つ」事を何となくではなく、もう少し具体的に見てみましょう。

まず、「人事」ですが、「知識を吸収し」「実際にそうある」事に取り組むと言った感じでしょうか。そして、その時に大切なのが、「自らに主体」が置かれていなければならないと言う事です。

今でこそ少しは変わり始めていますが、教育やマスコミから与えられる情報と言うのは、基本的に「分離的な競争に勝つ」ためのものであり、スピリチュアル的な知識を得て行くためには、「調和を望む自らのハートに主体を置いて」自分からそうした情報を探しに行かなければなりません。

この点については、基本的にここにいる皆さんはクリアされていると思います。

つまり、「知識における主体」は持たれていると言う事です。そして、この部分をクリアされている人は、全体の中でもかなりの勢いで増え始めているのかも知れません。

しかし、問題は次の段階にあります。知識を吸収したら、「実際にそうある」段階を進んでいかなければなりません。なぜなら、私達が存在しているこの経験世界では、知識を得るだけでは物事は完成せず、それを行動によって表して行くことではじめて物事に変化が生まれ始めるのです。

つまり、知識と言うのはあくまでも土台となる部分であって、実際に自らの日常現実を構築して行く上では、「自らに主体を置いた行動によって」取り組んで行かなければならないのです。

今日からお付き合い的な残業は止めて、定時に帰って少しずつ趣味の時間を持つように心がけて行こう。「仕事を頑張って出世する」と言う「与えられた知識」ではなく、豊かな人生を求めて「自ら得た知識」によってそう考えたとします。

だけど、「周囲の視線が気になる」「仲間はずれにされたらどうしよう」と言う感じで、「主体を手放して行動に移せない」のでは現実は何も変わりません。

それどころか、知識を持たなかった時以上にストレスを感じる事にさえなり、それは「主体を自分に取り戻すまで」膨らみ続けて行く事になります。

また、勇気を出して一歩を踏み出しても、「やっぱり周囲の視線が冷たい」と主体を手放して後戻りしたのでは、ストレスはやはりより大きなものになってしまうでしょう。

そう言う時はニッコリ笑って、育て始めた自分のワクワクに意識を向けて行くことが大切になります。周囲に敵対する事無く、我が道を優先するのです。

自分の足を引っ張る人たちに付き合うのではなく、我が道を進んだ先で、新しく出会った人たちとの繋がりを大切にして行く事の方が、どれだけ有意義な時間を生み出すことが出来るでしょうか。

そうして、知識・行動と言う両足を得て、我が道を進み始める事が出来れば、「天命を待つ」事はそれほど難しくはありません。つまり、「天命を受け入れる」と言う事ですね。

しかし、行動の部分で自らの主体性を掴めていない人たちと言うのは、どうしても問題の原因を外に見出しやすくなるために、「天命を受け入れる事が出来ない」傾向にあります。

社会のシステムが悪いから・ネガティブな支配者のせいで・理解の無い上司のせいで・足を引っ張る同僚のせいで・・・。そんな結果引き寄せられた天命なんて、受け入れられない。

人事を尽くしていないから、天命が受け入れられないのです。

このブログの読者さん達の年齢層と言うのは、主に中高年世代の方が大半です。

一概には言えないのですが、大雑把な世代的傾向として言うのであれば、若い世代と言うのは既に「今日は友達と遊ぶのでお先に帰りま~す」と言って、ケロッと定時で帰って行くと言う選択肢が無くもないんですね。

一昔前のように、「そんなケシカラン奴は会社を辞めちまえ!」「24時間働けますか!」と言う時代を生きて来た私達とは、人生で経験しようとしているものが違うのです。

若い世代は、魂として「新しい時代の立ち上げ」を経験しに来ています。中高年世代と言うのは、「古い時代から新しい時代への大転換」を経験しに来ているのです。

それは、どちらが良い悪いではなくて、経験しようとしているものが単純に異なると言う事です。

若い世代の魂は、最も「やりがい」を経験する事の出来る時代を選択して来たのであり、中高年世代の魂は最も「スリル」を経験する事の出来る時代を選択して来たのだと言う事です。

それがお互いの魂にとって、最も自らの成長を加速させる事が出来る機会だと知っているからです。「え~っ、私もやりがいの方を選びたかった~!」って思いますか?私もそう思います。( ̄□ ̄;)ガビ-ン

でも、まあ魂の選択を信じて、今回は「スリル」を楽しむ事にしましょう。そして、そのためには「人事を尽くす」と言う前提条件をクリアする必要があるのです。

人事を尽くしている人は、自分がアセンション出来るかどうかと気にする様な事はありません。既にベストを尽くして日常を送っている訳ですから、その先の結果がどうのこうのと心配しても意味が無いんですね。

つまり、そんな心配をしてネガティブになるくらいなら、その暇をより有意義(ポジティブ)に使う事に意識を向ける人たちなのです。未来に囚われず、今を生きている人達とも言えるでしょう。それが、1を選択した人たちですね。

そうした方向に向かって行動し、前進の手ごたえもあるけれど、まだ、ネガティブな考えに囚われたりする事も多々あると言う方が2に該当するのでしょうか。

知識の吸収には積極的だけれど、それを行動に移すところで、ちょっと進んでみたり戻ってみたりの足踏みを続けている人が3で、知識遊びで満足し自ら行動に移すつもりは無く、社会・世界が変わってくれるのを「待っている」と言う人が4かも知れませんね。

アセンションと言うテーマから見ればそんな感じで、明確に競争社会(3次元)の中に残る事を選択している人達は、こう言ったテーマからは対象外であり、そうした人達はそうした人たちで、また異なった魂の学びを重ねているのです。

最近、こうして「知識」ではなく「行動」に焦点を当てた記事を続けていますが、今起きているアセンションの流れを感じながら、その意味を捉えていただけたらと思います。

何でもそうなのですが、物事にはタイミングと言うものがあり、いつでも気が向いた時に始めれば同じ結果が得られると言うものではないんですね。

言うまでも無い事かも知れませんが、今は3次元の人間社会と4次元の人間社会が重なり合っている訳ですが、それらが分離した後で3次元の社会の中でいくら頑張ってみても、もう、今回のアセンションの波に乗ることは出来ません。

そして、そうした分離の時と言うのは、最大に猶予を見ても10年程度の所まで迫っていると思われるのです。遅くてそれくらいと言う事であって、早ければ既にいつそれが起こってもおかしくないタイミングの中にあるのだとも言えます。

10年先と考えると、まだ、そんなにもあるのかと思われるかも知れませんが、10年前を思い返してください。2009年ですね。

この10年で自分をどれだけ変える事が出来ましたか?その調子で「最大でも」あと10年程度の時間の中で、自分を4次元の波動領域にまで引き上げて経験世界の分離を迎える必要があるのです。

バシャールが言う列車の例えに重ねてみれば、「自らのペースで良い」ので、今、確実に「行動」の中に取り組みの中心を移していない人達は、まだ3次元の列車に乗っている可能性があります。

バシャールは、2019年の時点で4次元行きの列車に乗っていない人は、自分に可能な最高スピードで4次元(調和的にある自分)に向かい続ける事で、もしかしたらギリギリで4次元行きの列車に飛び乗る事が出来るかも知れないと言っていました。

おそらくそのシナリオよりは、アセンションの過程が後ズレしていると思われるため、それよりはほんの少しだけ余裕があるのかも知れませんが、大きな視点に立てばそれも誤差程度の事なのかも知れません。

あまり、ネガティブな視点からこうした話をしたくは無いのですが、ポジティブで心地良い話をしているだけでは、知識だけで満足してしまい、なかなか行動への一歩が踏み出すことが出来ずに「茹でガエル」になってしまい易いんですね。

ストレスや恐れと言うのは、それ自体はとても不快な感覚なのですが、それは、魂本来の調和的な自分へと向かって行くために後押しする力でもあるんですね。

つまり、それによって強く背中を押されているのです。それに対していつまでも不快感を感じると言うことは、自分がその一歩を踏み出さずにその場に留まろうとしているからです。

一歩を踏み出した人は、そうしたストレス的な経験も、振り返って感謝する事が出来る様になって行くのです。

ああ、今日は初夏の日差しながら、空気はまだ涼しく締まっています。庭の新緑が眩しく、見上げれば青い空。いいですねぇ。

さて、主夫として買い物にでも行って来ようかな~。(^ー^)


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