2019/06/07

重要性に気付いていますか?

昨日の記事で取り上げたように、私達が「茹でガエル」になってしまうのには2つのパターンがあるのかも知れません。

1つは、熱せられて熱かろうと、そのビーカーの中(競争社会)こそが一番良い環境なのだと強く信じている人達です。実際、今でもより大人であるほどに、そうした考えを持つ人達が多数派を占めています。

そして、もう1つは、頭の中でだけ新しい在り方を空想し、自らが隣の池(4次元の波動領域)に移動するのではなく、隣の池がビーカーの中に移動して来てくれる事を待っているパターンです。


これらの状態であると言う事は、多少の違いはあるものの、いずれもが3次元の波動領域に留まる選択をしている事になります。

前者は「分離」的な低波動の中に囚われており、後者は「依存」的な低波動の中に囚われています。それらはいずれもが、私たち地球人がその歴史を通じて手放そうとして来たものであり、今と言うアセンションの機会の中で、それを達成できた人達が4次元の波動領域へと進級して行く事になります。

いつも言うように、それはいずれの選択が良い悪いと言う話ではありません。各自が自然と自分(魂)の学びに適した状態を選び続けているのだと言う事です。

ただ、今はタイミング的に大きな分岐点上にあり、その決意・選択次第で、自らの進路を変更する事の出来る特殊な時間の中にあるのです。

つまり、これまでの世界と言うのは、基本的に3次元の波動領域内で人生が完結する事が常でした。そして、今と言う分岐点を過ぎるとまた当分の間、3次元を選択した人は3次元、4次元を選択した人は4次元の現実を繰り返し転生して行く事になります。

私達の今回の人生は、今の人生だけではなく、これから先の転生領域を選択するための重要な機会になってもいるのです。

しかし、多くの場合において、そうした事の重要性が正しく理解されていないように感じられます。あるいは、それを理解していながらも、具体的にどの様に取り組めば良いのかを捉えられていないのかも知れません。

私たちは物事をバラバラに小さく捉え、その場でスッキリと完結させられる事に慣れ親しんで来ました。そのために、より大きな視点から「人生を通じて変化を起こして行く」と言う事に、リアルな実感を見出せない傾向があるのです。

人生を通じたアセンション過程(スピリチュアルな目覚め)への取り組みを、自分の中にリアルに捉える事を苦手とする傾向があるのだと言う事です。

例えば1つの例ですが、都会での競争を離れて田舎に移住し、そこで自然と調和した人生を切り開いている人と言うのは、アセンションのアの字を知らなくても、確実に人生を通じてアセンションの過程を辿り続けていると言えます。

しかし、競争的な現実の中で、アセンションと言う可能性に慰めを求め、知識を吸収して空想を膨らめるばかりで自分の現実を変えようとしていないのであれば、それは冒頭に書いた茹でガエルの状態であると言うことが出来ます。

つまり、熱せられるビーカーの中で、心地の良い池がビーカーの中にまで移動してきてくれる事を待っているのです。

都会にいることがダメだと言う様な、短絡的な話ではありませんよ。都会にいても、調和的に生きている人は大勢いると思います。問題は場所ではなく、自分自身のあり方なのです。(一般的に、田舎の方が自然的・調和的な環境であるとは言えますが。)

例えば、昨日も目先に取り組む事をノートに書いて・・・と言う方法を紹介しました。

物事の変化を大きな視点から「流れ」として捉えられるのであれば、一見地味なその方法が、これまでの惰性的な流れを確実に変化させて行く有効な手段だと理解できるだろうと思うのです。

しかし、「流れ」ではなく「小さな目先のパーツ」としてしか捉えられていないと、「そんな地味な取り組みではなくて、もっと人生を大きく変えられるような・・・」となってしまうのです。

「千里の道も一歩から」と言う視点から、一歩の大切さを理解する事が出来ていないと言う事です。そのため、いつまでも山の頂上を見上げて、どうやったら今すぐ山の頂上に行けるかと考え、目の前の一歩を踏み出さないのです。

「私が求めているのは、そんな一歩ではなくあっという間に頂上に到着できる方法なのだ」と言った感じで。

だから、いわゆる「イベント(ソーラーフラッシュ)」等にばかり意識が向かい、現実的な取り組みに興味が湧かないのかも知れません。

ソーラーフラッシュに興味を持つ事自体が、悪いという訳ではありませんよ。自分の現実を変えずにおいて、それ(イベント)だけで4次元に行こうと言うのには無理があるのだという事です。

では、どうしたら良いのかと言えば、1つには知識を吸収して行くと言う段階がありますよね。4次元(調和)的な可能性・選択肢があると言う事を知らなければ、3次元(競争)的な現実で頑張るしか選択肢が見えない訳ですから。

これについては、少なくともここにいる人達はそれなりに知識を得て来ていると思います。問題はその知識を、どのように自分の現実に取り込み活かして行くのかと言う事ですよね。

つまり、イベントに依存するのではなく、自分の足で、ビーカーから池へと移動して行くのだと言う事です。そして、その過程については、各自の状況に合わせて人それぞれだと思います。

例えば、1つの方法として先に書いたように目先の取り組みをノートに書いてと言う様なものがあっても、そこに何を書くかは完全に各自、個人個人の問題なのです。

私たちの多くは、今なお競争的な現実の中にいるかも知れません。その様な環境の中では、そうした地味な取り組みには意味が感じられず、自ら変化を起こす事には無理があると感じられてしまうかも知れません。

しかし、例えばですが、セミナーやボランティア活動、あるいは趣味の集まり等の場においては、現実にそれを実践している人達と言うのがいるんですね。

そこに生まれる繋がりの中では、話題も当然、職場などでの話題とは異なったものになって行くでしょう。

そして、パソコンの前で頭の中だけで思い描いているものとは異なり、リアルな現実がそこに表れて来ることになります。

1つの例に過ぎませんが、先日のセミナーに来られた人達は、リアルにその場に集まって、良かれ悪かれ、パソコンの前でブログを読んでいるのとは異なる現実を経験されたと思います。

多分、半月前に読んだ記事を覚えている人は少ないと思うのですが、半月前のセミナーのリアルな経験と言うのは、何らかの形で今も記憶に留まっていると思うのです。

その場で、新しい繋がりを広げていた人達もいますし、次のセミナーも見据えて、参加した人達の顔が見えるような座席配置にして欲しいと言うご意見も頂きました。

お互いの顔や名前を知る事で、親近感(リアル感)と言うのが確実に増す事になるんですね。その他大勢であった人達が、その人その人になって行く訳のです。

また、おしゃべりの中で、転職計画中だとか、何かを教えているだとか、どこから来ていただいただとか話していると、どんどん、その場の経験密度が上がって行くんですね。つまり、リアル感が増して行くのです。

私もはじめてで、個人情報とかは出さない方が良いかなぁと思い、教えて頂いた名前やどこから来られたか等を伏せていたのですが、了解の上で名前やニックネームくらいは出しておしゃべり会などをした方が良いだろうなぁと感じました。

その中には漫画家で先生をされている方などもいたりして、ブログにこんな記事を描いて頂けました。「ねねこみっくす3」さん

その様にして色々な人達が、各自のペースで調和的な現実に取り組まれている話を見たり聞いたりしていると、パソコンの中だけ、頭の中だけで空想的であったアセンションの流れが、どんどんとリアルな現実になって行くんですね。

そして、そうしたリアルな体験って、かなり長く記憶・感覚として残って行くのです。

取り合えず私としては、暑い夏の間はウェビナーの方を少し試してみながら、秋くらいになって来たら、また、たまにセミナー・おしゃべり会・懇親会などをやってみようかと言うくらいで考えています。

しかし、ここに限らなくても、セミナー・ボランティア・趣味の集まり等は色々とあると思うんですね。

1つの方向性として、嫌な事と戦う事に意識を向けるよりも、そうしてポジティブな現実を育てる事に意識を向ける事がとても大切だと思います。

そのポジティブな現実が育てば育つほどに、嫌な事を手放す負担が減って行く事にもなります。

そうしてリアルな現実の中で、自分自身のあり方を変えて行く事が、とても、とても大切なんですね。頭の中で考えているだけでは、ビーカー(3次元の競争社会)の中に池(4次元の調和社会)が移動して来るのを妄想している茹でガエルになってしまいます。


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