2019/06/06

「茹でガエル」と「活きガエル」

今日は、「茹でガエル」について書いてみたいと思います。

言うまでも無いかも知れませんが、徐々に熱せられる水の中にいるカエルは、水温の上昇がゆっくりであるために飛び出すタイミングを捉えられず、そのまま茹ってしまうと言う話です。

つまり、誰でも急激な変化には気付けるのですが、徐々に進む変化にはなかなか気づく事が出来ずに、行動を起こすタイミングを見失いやすいと言う事です。


例えば、こう考えてみて下さい。

「趣味」について、あなたは1年前と比べてどれだけそのワクワクを前進させることが出来ましたか?

「仕事」について、あなたは1年前と比べてどれだけ分離的な側面を手放し、調和的な側面から取り組めるようになりましたか?

「家庭」について、あなたは1年前と比べてどれだけ調和的な日常を送れる様な変化を経て来ましたか?

3年前と比べて、5年前と比べて、あなたはどれだけ「今・ここ」にある日常を調和的な現実に置き換えてくる事が出来ましたか?

その間、私達の置かれた波動環境は、急激に波動を上昇させ続けています。また、社会的な情勢は水面下での急激な方向転換を乗り越え、いよいよそれが表面化し始めてもいます。

つまり、ソーラーフラッシュや社会システムの崩壊と言う急激な沸騰は、まだ起こっていない訳ですが、その水温は、既にかなりのペースで確実な上昇を続けて来ているのです。

そして、最近の世界情勢等についても書いて来ているように、徐々に沸騰が始まろうとしているのですが、沸騰が始まってから、これまでいた現実から飛び出せると思いますか?

不可能ですよね。その段階で3次元と言うビーカーの中に浸かり切っていたのでは、ほぼ茹でガエルになってしまっているのですから。

あなたは、この1年、3年、5年・・・と言う、波動(水温)上昇の期間の中で、3次元現実としての熱せられるビーカーの中から、上手く這い出す事が出来ましたか?あるいは、どのくらいそこから抜け出しつつありますか?

例えば、5年前にはビーカーの水にスッポリと入っていたと仮定します。この5年間で、どれくらいそこから這い出す事が出来ましたか?

5年の間、ビーカーの中に浮かびながら、ビーカーの外側を夢見ていただけではありませんか?3次元社会の現実がますます熱くなって来たなぁと、他人事の様に感じながら。

茹でガエルとは、そう言う状態を言うのです。

皆さんが、そうであると言っている訳ではありません。皆さんが、そうでないと言っている訳でもありません。

それは、私が判断するような事ではなく、皆さんが自分自身で考えてみる部分なのです。

例えば少し前に、パタンとめくれるタイプのメモ帳やノート等に、スピリチュアル的実践と言う意味から目先に取り組む事を書く方法を紹介しました。

それを目のつく所に置いて、その実現に意識を集中し、実現するごとに次にやる事を書き進めて行くと言う取り組みでした。

この方法にこだわる必要はないのですが、例えば、その時にそれを実践に移した人であれば、既にそのページは2~3ページは進んでいるはずです。

(それは、長期的な目標ではなく、目先の一歩についての事柄なので、まだページが進んでいない人は、数日~数週間の内に、確実に実現可能な目標に切り替えてください。)

そして、1年後には確実にノート1冊分くらいの前進が積み上がっている事でしょう。そうすれば、1年、3年、5年遡っても、特に何と言った前進もしていない様な、茹でガエル状態に陥る事は確実に避けられるのです。

例えば、それは趣味(ワクワク)を深めて行くような取り組みの一歩一歩であったり、家族で仲良く暮らして行くための一歩一歩などの積み重ねです。

大きな目標は大きな目標として、別に見据えておく必要があります。例えばですが「転職」とか。そのために中長期的な見通しを持ちながら、それを一歩一歩確実に前進させて行くための取り組みとしての1つの例なのです。

今、ゴールに辿り着いている必要は無い訳で、焦って空回りする必要はありませんが、振り返った時に現実が殆ど前進していないと言うのでは、この先も水温ばかりが上昇するものの、自分の居る場所が変わる事はないのではないでしょうか?

世界・社会は確実に変化を加速させています。

あなたは、3次元と言うビーカーの中で「空想に浸っている茹でガエル」ですか?それとも、隣の4次元と言う池に移って「伸び伸びと泳ぐ活きガエル(生き返る)」ですか?


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