皆さんのアセンションの知識を横にどけてみて下さい。そして、考えてみて欲しいのです。皆さんの現実は、10年前と比べてどの様に変わりましたか?この10年で、皆さんは自らの経験の中に、どれくらいの調和的なあり方を植え付ける事が出来ましたか?
アセンションの知識は横にどけてください。スピリチュアルな知識も横にどけてください。皆さんは、この10年で3次元的な自らの現実を、どれくらい、どの様に4次元的な方向へと軌道修正されましたか?
何となくではなく、明確に具体的に考えてみて下さい。皆さんはこの10年で、どれだけ自分の現実に変化をもたらしましたか?社会の変化は社会の事、他人の変化は他人のこと。皆さんは、皆さんの個人的な現実に意識を集中する事が大切です。それ以外の現実は、現実であって現実ではないんですね。
10年前の私は、サラリーマンとして毎日を過ごしており、見事なまでに3次元的な環境の中にいました。
家庭においてもお互いの価値観の相違から、夫婦間の埋めようの無いズレに苦しんでいました。
そして、私はそうした3次元的な現実を、立て続けに手放しました。それは、想像以上のパニック的な心理状態を生み出しました。
退職については、どうしようもない程の心理的な不安に強く囚われ、離婚については、間に挟まってしまった子供を巡って毎日の様に爆弾が破裂している様な状態でした。
そうした状況を乗り越えて、新しい現実を捉えて行くための命綱として強く握り締めていたのが、スピリチュアルな知識なんですね。
それによって自分を安定させ、不安から元の状態へと引き返してしまうのではなく、世間の常識とは異なる自分の信念を見つめて、コツコツと新しい現実を歩んで来たのです。
そうして、今の様に散歩をしたりブログを書いたりと言う、のんびりとした生活を軌道に乗せ、それをさらに充実させる方向へと模索を続けていると言う事になります。動画にしている様な散歩生活と言うのは、そうした自らの選択の結果として掴み取った現実なんですね。
つまり、3次元の現実に苦しむ方たちと同じところから、自ら掴み取ったものであり、決して運よく転がり込んで来たと言うだけのものではないのです。
それでは、私が頭に知識を満載に詰め込んだ状態にありながら、その知識を3次元的な現実の慰めに使い、待っていればその内に、宇宙的なエネルギーが自分の現実を変えてくれかも知れないという希望にすがり、外から変化が訪れるのを待っていたとしたら、今の私の生活はどうなっていたでしょうか?
おそらく、うんざりする様な3次元的な現実は何も変わらず、より強い慰めを必要として、本を読み漁りネットサーフィンで情報を集め、知識と言う鎮痛剤で心の痛みを誤魔化していた事でしょう。
この世界では、本当の理解(信念)は「考え・言葉・行動」における常識的な一致となって表れます。それによって、始めてその波動に共鳴する現実が引き寄せられて来るのです。
しかし、単なる知識(思考)を持っているだけでは、現実が変わることはありません。それでは、例え大きなエネルギーの波が押し寄せて来ても、その波を捉える事は出来ないのです。
ビッグウェーブが訪れる事を知り、それを待ち続けた末にようやくその波が訪れたとしても、肝心の自分が行動を起こさずに浜辺で待っていたのでは、単純に押し寄せる波に飲み込まれてしまう事になります。
その波を捉えて、これまでとは違う場所にまで進んで行くためには、これまでの砂浜(3次元的な現実)とは異なる海の上(4次元的な現実)にまで、自ら移動して行く必要があるのです。
どんなに知識を拾い集めても、それを3次元的な自分の慰めに使っているだけでは、現実は何も変わりません。これまでも、そして、これからも。
当たり前の事ですが、それは気に入らないのであれば仕事を辞めたり、さっさと離婚する事を勧めている訳ではありません。そうした具体的な話と言うのは、個々の置かれた環境や性格などによって、選択肢は千差万別にあるのです。
取り合えず仕事には耐えながら、その一方で積極的に趣味を楽しみながら、知識や経験を積み重ねて行くと言うことも1つの選択でしょう。
そうしたあらゆるあり方のどれを選択するのかは、当事者であるその人次第のことなんですね。
ただ、蓄えた知識で自分を慰めて、自分のあり方そのものを変えないと言う選択は、単純に4次元世界に憧れながら3次元に留まると言う選択に他なりません。
つまり、3次元の現実を選択しているのだと言う事です。
いきなり大きな変化を起こす事もそうですが、小さな変化をコツコツと重ねる事でも、現実は確実に変わって行きます。
しかし、集めた知識で自分を慰め、自分のあり方そのものを変えようとしないのであれば、その人の現実(経験世界)と言うのは変わりようがないですよね。
決して、それが「悪い」と言うつもりはありません。どの様な現実を選択したのであっても、それは確実に魂にとっての良い学びとなるからです。魂とは永遠の存在です。
しかし、それで今回の人生においてアセンション出来るのかと言えば、それは単純に難しいと言う事になるのかも知れません。
こう言っては語弊があるかも知れませんが、この記事の意図を汲み取って読んでいただけるのであれば、「知識なんてクソ食らえ!」です。
それは、自分のあり方を変えるために積極的に使ってこそ、始めて本来の役割を果たすものなのです。それは持っているだけでは、何の役にも立たないのかも知れません。せいぜい、3次元に留まる中での慰めを見出せるくらいのことで。
大きな変化を起こさなければいけないと、パニックになる必要はありません。自分の経験の中に小さくても確実な変化を起こして行くことが大切だと言う事なのです。
例えばの話ですが、未だに台所洗剤をバンバン使っている人はいませんか?ほんの少しずつでも肉食を減らす事無く動物の屠殺など気にもかけていない人はいませんか?未来が心配で、今を犠牲にしながらたくさんの保険や年金の支払いに追われていませんか?
何のためのスピリチュアルな知識なのですか?そうした現実を変えて行く為?それともそうした現実にいる自分を慰めるため?
複数のチャネリングでも伝えられていますが、そんな情報に頼るまでも無く現実的な視点から見て、この夏秋冬にかけて、私達の現実が急激な変化を始めであろうことは目に見えています。
それは、金融・経済にとどまる話ではなく、自然や食料その他の問題を含めて、全ては想像以上の勢いで激変し始めているのです。
そうした環境の変化が本格化しているからこそ、自分自身の内側に、調和的で確固たる自分軸を仕上げることが大切になります。
10年前と比べて、皆さんはそうした行程をどのくらい進捗させられましたか?
私たちはたくさんの情報を得る事で自分を安心させようとしますが、あらゆる情報の本質は一点に集約されます。
「みんな仲良く。自然と仲良く。動物と仲良く。そして、自分自身と仲良く。」
そこに言われている事が理解できるのであれば、もう、知識と情報を集めるペースは緩めても良いので、それを自分のあり方として実践する事に意識を向けた方が良いのかも知れません。
本の中にではなく、セミナーの中でではなく、自分自身の日常の中にこそスピリチュアルを見つけ出し広げて行って下さい。
スピリチュアルな単語を満載に並べてもらわないと、スピリチュアルに関わった気分になれないと言うのではなく、ありふれた日常・おしゃべりの中で自然にそれを表現して行く・感じ取って行く事こそが、本当のスピリチュアルなあり方なのかも知れませんね。
Slow Lifeな散歩道(動画)
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