2019/08/02

「与えられた枠」から自立する

何でもそうなのですが、「本質」と「型」とがあると思うんですね。例えば、「真理」「叡智」「知識」「学問」と並べた時に、左であるほどに本質であり、右であるほどに型にはめられたものであると思うのです。

そうした中で私たちと言うのは、まず、「学問」と言う枠の中に入りたがる傾向を強く持っています。なぜなら、学校教育と言うものが、スッポリとその中に収まってしまっているものであり、私たちは幼い頃から、その様に習慣付けられて来たからです。

つまり、自分で感じ考えるのではなく、与えられたものの中で、いかにそれをたくさん受け入れるか、つまり、与えられたものを自分の中にコピーする競争を押し付けられて来たのです。


そうした学問と言うのは、多くの学者の研究発表から、学会が取捨選択をして、人間的・組織的に生み出されているものなんですね。

そして、その組織のスポンサーの意向を強く反映されています。つまり、研究をするには、研究資金を提供してくれるスポンサーに従う必要があるのです。学会と言う組織にも、それを運営して行く上でのスポンサーが欠かせません。

もちろん全てではなく、頂点となる部分だけ抑えれば、あとはそれになびいて来るので、全てのスポンサーがそうである必要はないでしょう。

そうして教育に限らず、お金を支配する事でお金の流れによって世界を動かしてきたのが、ネガティブな支配者(金貸し)たちなんですね。

そうした社会のシステムは、現在急速に崩壊の過程を加速させており、支配者達も確実にその包囲網を狭められながら、ヤケクソの暴発を起こされないように段階を踏みながら完全排除へと向かっています。

そうした支配者達の上には、さらに高次元(4次元)のネガティブな存在たちがいた訳ですが、その領域においては既に主要な存在たちの排除は完了しているようです。

あとは一部の残党と、その下で人間社会に構築されてきた支配構造の転換が進められている段階です。

こうした話を普通に話すと、大半の人は「頭のおかしな人」と感じることでしょう。「高次元とか支配者とか、この人は何を言ってるの?」と言う事になるのです。

上に書いたように私たちは教育と、そしてマスコミによって、その様に3次元の競争的な現実と言う枠の中に閉じ込められて来たからなんですね。

それは、学校の先生やマスコミで働く人が悪いと言う話ではなくて、その人達や私達の全ても含まれる、これまでの社会の枠組みを創った人達が、支配と搾取を目的にしてその様な仕組みを世界に広げて来たと言う事なのです。

そうした社会システムが取り除かれて行くにあたって、私たちは鎖から解放されて、どの様に生きて行ったら良いのかと言う事が、これからの大きな課題になって行くんですね。

高次元存在たちが伝えて来たスピリチュアルなメッセージと言うのは、そのために私達の中に植え付けられた、新しい生き方の種なのです。

最初に書いたように、私たちはこれまで与えられた枠の中で、いかにその与えられたものを自分の中にコピー出来るかを競い合って来ました。

しかし、目先の1つ1つはともかくとしても、そこにある大きな流れと言うのは、自らを搾取支配システムの、優秀な奴隷にするための競争でもあったと言う事なんですね。

そうしたあり方から自立しようとする時、私たちは「自分で感じ・自分で考える」事がとても大切になって来ます。

例えばスピリチュアルな教えであっても、まずそれを読書やセミナーによって外から自分の中にコピーする事は、自らが目指したい雛形を自分の中に見つけるという意味で有用な事ではあります。しかし、それはラフな設計図を手に入れる段階の話なんですね。

それを日常の中で現実化して行くにあたっては、誰かから教えてもらうのではなく、自分自身で感じて考えて行く事が大切になります。

もちろん、アドバイスなど外からのサポートも取り込めば良いのですが、サポートはあくまでもサポートです。しっかりと自分自身に主体を持って、自分の人生を生きて行くことが、より調和的な行き方へと繋がって行くのではないかと思います。

今日は、瞑想の話を書こうと思っていたのですが、前置きを書き出したらそのまま話がそれて来てしまいました。(^~^;)


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