先日も少し触れたかと思いますが、ヤフーブログの方をはてなブログへと引越ししました。年内は自動で、ヤフーブログからはてなブログの方へ転送されます。
そちらには記事を更新しないとも書いたのですが、結局は少し書き足したりもしています。
なんか、自分のやる事に方向性を見失っていまして、浮き足立っていると言うか、地に足がついてない感じですね。あれやこれやに手を出して、あれもこれも違うと言った感じなのですが、何かやらないとと言った感じです。
毎年、8月8日にはライオンズゲートが開くと言われているのですが、今年も7月下旬から開き始めて8月8日で全開になり、明日12日にかけて閉じられて行くと言うことらしいです。
蝕や春分・秋分等と異なり、ライオンズゲートだけは毎年何も感じないと言うのがこれまでのパターンであったのですが、今年はその開閉に対応したエネルギーの流れが感じられています。
それに限らず、どうも今年はアセンションの過程において、1つの大きな節目を通過しているように感じられます。そうした感覚が逆に、冒頭に書いたような空回りに繋がってしまっている感じです。
私たちは主に肉体的存在として世界を経験しているのですが、実際にはそこにエネルギー体が重なるようにして存在しています。
肉体と言うのは低波動的な経験であり、意識がそこに強くリンクしていると、その低波動に添って、分離的・競争的な思考から世界を捉え経験していく事になります。
しかし逆に言えば、一体的・調和的に世界を捉え経験して行く様になれば、意識の焦点は、肉体的な現実からエネルギー体的な現実へとスライドして行く事になります。
それによって、眠っていたエネルギー体が活性化し始める事になり、自らの経験の中にエネルギー的な現実が浸透してくる事になるのです。
私の場合で言えば、そうした過程に沿って2010年頃からエネルギー感覚が表れ始め、確実にその感覚が肉体的・物質的な現実を覆って来ています。
さらに遡れば、1990年頃から激しい偏頭痛に悩まされ始めており、今ではそれがエネルギー体活性化の鍵となる、松果体開口の副作用によるものであったのだと言うことが分かっているのです。
さらに遡れば、子供の頃から平気で殺虫剤を振り撒き、洗剤を垂れ流し、乱開発で木々を切り倒し、地球を何度でも爆発できる程の核爆弾を競い合って保有する大人たちの社会が怖かったんですね。
結局、アセンションの過程と言うのは、そうして段階を追いながら人生を通じて私達の内面から湧き上がって来るものであって、それを強力にサポートする宇宙的な波が、今、私達を包み込んでいると言う事になるのです。
そして、私達それぞれの魂は、この人生の中で自らの学びに適した肉体の中にやって来ています。
つまり、自分はエネルギー的な感覚も出てこないし、ハズレの人生を選んでしまったのだと言う事はありえないんですね。
誰もが、最も自分の学びに適した環境の中に生まれて来ています。そして、それは初めての人生ではなく、最後の人生でもないために、この人生の中で全てを完成させる必要はありません。
ただ、今と言うアセンションにおける最重要である時代に生まれて来たと言うことは、これまでの分離的な世界への転生を卒業して、調和的な世界へと進学できるかどうかの最終試験の中にいると言う事になります。
最終と言っても本当の最終ではなく、もし今回進めなくても、また次のサイクルの終わりには同じようなアセンションの機会が訪れる訳ではあります。
しかし、その長いサイクルを、また分離的な環境の中での学びに費やすのか、調和的な環境の中での学びへと進むのかの瀬戸際にいるのですから、出来れば誰もが、少なくとも魂のレベルにおいては、自らを前進させることを望んでいるはずです。
社会的・宇宙的な変化と言うのは、時間とともに確実に進んで行く事になります。それは、私達の行動・あり方に関係なく、絶対的に進んで行くものです。
しかし、問題はそこにはなく、各自がそれを4次元へとアセンションする過程として経験する事が出来るのか、それとも3次元へ残る過程として経験する事になるのかと言う事にあるのです。
どんなに、皆と一緒に同じ世界を進んでいるように感じられても、そこに映し出されている世界そのものが、意識の中に映し出された幻想世界だと言う事を頭の隅で理解しておいて下さい。
本当のあなたは、魂としてエネルギー世界を生きる存在であり、今は一時的に物質的な幻想の中に入り込んでいるに過ぎません。
その夢から覚めて、また次の夢へと転生する際に、今、となりに映っている人はあなたとは違う世界・違う次元に転生するのかも知れません。それは、その魂の学び具合によって異なるものなのです。
だから、物質世界と言う幻想に囚われて、みんなと一緒にいることで安心しようとしても、それにはまるで意味がないのだと言う事です。
問題は、自分自身が世界をどの様に経験しているかと言う事になります。それが、魂の次なる転生先を決める事になるんですね。
そして、そうした転生先を4次元世界に進めたいのであれば、今のこの経験世界の中で、確実にそうした方向性を持って生きて行く事が大切になります。
つまり、「今」、自分の好奇心に従って、世界と調和しながら幸せに充実して生きる方法を模索し続けていると言うことが重要です。
理想としては、模索するではなく実際にそれが出来ていればより良い訳ですが、3次元から4次元へのアセンション過程の中では、完璧にそうある事が出来る人は少ないと思うんですね。
そのため「嫌な事に我慢して、与えられた競争の中で生きる事」に人生の主体を置くのではなく、現実とのバランスでそうした要素を手放しきれていないとしても、少なくとも「好きな事を見つけて、日常の中でそれを拡大させながら、調和的に生きる」面を育てている事が大切です。
その実を収穫することは、今後の4次元世界での転生へと持ち越しになったとしても、少なくとも今回の転生でそうした種を植えて芽が出る所まで、あるいは最初の花が咲くくらいまで育てて行きたい所です。
調和の種を撒かずに、競争の木を育て続けて人生を終わったのでは、次の転生で、またそこから始める必要が出てきます。
ここにいる私たちは、おそらく競争の木の実で生きてはいながらも、一方では調和の種を蒔いている人達です。ただ、その育て方が分からなくて、こうして私と一緒に試行錯誤して、それを芽生えさせようと模索しているのだろうと思います。
その種がすくすくと育ち、たわわと実った果実を収穫出来ればより良いのですが、少なくともその種から芽が出る所まで、あわよくば木としての成長を進め、もしかしたら花を見られれば万々歳。
そんな感じで、今の人生を捉えられるといいのかなぁと思います。
人にはそれぞれのペースそれぞれの目的があり、先を急ぐ競争をしている訳ではありません。
ただ、ここにいる私達については、少なくとも調和の種を蒔き(既に皆さんはこうして蒔かれていると思います)、あとはその芽が出るところまでを進められると良いのかなぁと思います。
それが私達の魂が最低限掲げて来た、この人生での目標であろうと思うのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿