2020/01/17

エネルギー感覚

一時期に比べて、最近はあまりエネルギー変化・エネルギー感覚についての記事を書いていないので、今日はそんな事をテーマに書いてみようかと思います。

まず、エネルギー的な環境の方ですが、年が明けてエネルギー的な質が変わっています。

毎年、年が明けるとエネルギーの質が変わるんですね。だいたい年明けから春分くらいまでの間に、新しい年の質と言うか方向性と言うかに変化があって、それ以降は年末まで、そこで固まった質・方向性で進んで行く様な感じです。


そのため、年明けから春分までは、転換と言う意味も含めて変化が大きく、そのあと落ち着いた所から徐々に変化に勢いがついて言って、秋分から冬至に向けて変化が大きくなって行きます。

それは、あくまでも大雑把な年間のイメージで、実際には天体現象などに合わせた強弱も混ぜ込まれて行く訳ですが。

ここで言っている「エネルギーの質」が何なのか、どう違うのかと言う事については、自分でもよく分からず、もっと単純に表現を変えれば、エネルギーが底上げされた様な感じでもあります。

だけど、何んかそれだけではない、質の違いのようなものを感じるんですよねぇ。

一方で個人的なエネルギー感覚の方ですが、かなり大きなものに育ってきています。ただ、上手く表現しにくいんですね。

肉体的な経験の中で、小さく表れたエネルギー感覚が、部分的なものからエネルギー体全体にまで広がって行く過程においては、肉体的な構造に基準を置いて表現する事も出来ました。

しかし、エネルギー体としての全体に感覚が広がって来てからは、表現がしにくいんですね。

1つ言える事は、今はエネルギー体としてのエネルギー的な密度を高めている段階にあると思います。

話しが戻りますが、年が明けてからエネルギーの質が変わると書いたのですが、要はエネルギー的な経験の種類が少し変わるんですね。

昨年は基本的に部分的なエネルギー感覚の拡大がかなり進んで、全体的なエネルギー体を捉える感じの年でした。

今年はエネルギー体としての密度を高めながら、エネルギー体に慣れて行く年になると思います。

言ってみれば、2019年にエネルギー体の赤ちゃんとして生まれ、2020年は赤ちゃんが指をしゃぶったりしながら自分の身体を確認して行く様に、エネルギー体と言うあり方がどんなものかを模索・確認して行く年になると思います。

これは、年単位での先の話になるのですが、1つの目標点として、エネルギー体の外側を捉えて、そこでの経験を立ち上げるところまで持って行ってみたいんですね。

例えば、先日の夜はベッドに横になっていて、何か目を開けている感覚があるんですね。肉眼ではなくて、松果体としてのいわゆる第三の目です。

そして、色々なものが動いている微かな輪郭がしばらくの間、見えているのです。

それ自体はこれまでにも度々あった経験なのですが、ちょっと、これまでの経験よりも、よりエネルギー的な経験に入っている感じがしました。

つまり、エネルギー感覚の変化に伴うものだと思うのですが、これまでは、肉体から見ている感じがあったのですが、エネルギー体から見ている感じに変わって来ているんですね。

まあ、そうした点についても、やはり赤ちゃんが目で映像を捉えて行く段階を辿っている様な感じの様にも思えたりします。

今年は世界情勢も大きく動いて行くだろうと思いますし、こうしたエネルギー的な経験についても年単位で見れば明らかに変化が加速して来ています。

こうした貴重な経験の機会を、しっかりと味わって行きたいですね。

6 件のコメント:

  1. TOCさん砂見さんおはようございます。

    また、TOCさん、はじめまして、でしょうか?
    前の記事への返信ですが、この記事のコメント欄を使わせてください。時間が遅れての応答になってしまいましたので。
    TOCさん、私のユーチューブ動画関心をお持ちいただきありがとうございます。また電子本の購入ありがとうございます。

    わたしにとってはたいへん貴重なお一人です、^^;。
    メシアについては、私はブログや書籍、動画でもほとんど言及してきませんでしたが、TOCさん砂見さんのお考えに同感です。

    人は一人一人がメシアであり、今の時代、外にそれを求めるべきではないように感じています。また私も日本を特別と主張するわけではないのですが、電子本の前書きに書いてあるとおり、今の世界的精神性を俯瞰したとき、あるいは歴史的経歴、あるいは現在行っていることを国家として眺めれば、どうしても、日本こそ世界の指導者としての役割を果たしていくべきではないだろうかという考えに落ち着いてしまいます。

    さてTOCさんの言われる、物質は存在しないあるいは、幻想であるというお考え、砂見さんもどうがで同様のお考えを語っていたと思います。

    私も同感です。ただ、存在という意味を同捉えるかにより答えは変わるとは思っています。物質波意識である波動エネルギーの所産ですから、私たちが信じ込んできた、確固たる変化のしずらい「かたい」物として存在していると言うのは、間違いという意味で、私も存在はしていないと思います。

    ただ、それは意識によって形を持つわけですから、意識としては存在していますので、全くの幻想といってしまうと、すこし誤解をまねくかもしれませんので、何でしたっけ?、そうだ、ホロスコープくらいに考えていたほうが良いと思っています。

    そのホロスコープのできるメカニズムを電子本では書いてあります。
    どうもありがとうございました。

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  2. 砂見さん、新たな記事及び動画をありがとうございます。
    地球のアセンション・人間のアセンションの動画では、自分の中での理解が深まった気がします。
    集合意識としてのアセンションですね。
    それに参加する人が増えることにより、大難を小難にすることができるということですよね。
    どんなストーリで、アセンションが進んでゆくのかを楽しみたいと思います。

    haruさん、お返事ありがとうございます。
    とても、嬉しかったです。
    私は1953年生まれですので、haruさんのお歳とも近く、今後とも仲良くさせていただけたらと思っております。よろしくお願いします。
    私の母親は95歳なのですが、病気であまり食べれなくなったので、グループホームを退所して、母親の自宅で、妹と交代で看取り介護を今しているところです。この現実から、自分が何を体験し、何を学ぼうとしているのかなと考える今日この頃です。きっと、母親は、転生してアセンションすることを選択したのだなと思っています。
    haruさんの電子書籍の「あとがきにかえて」で、ご両親の亡くなられた後のエピソードが触れられており、ひょっとしたら、私も同じような体験をするのかなと思ってみたりしています!(^^)!
    ところで、物質についてですが、haruさんのおっしゃるように、「存在」をどう捉えるかによるのかもしれません。この宇宙で、自分の意識以外はすべて存在しないといえば、それはそれで的を得ているのかもしれません。
    よく「物質化」という言葉が用いられることがあり、波動エネルギーの振動が緩やかになり、固定されて、物質化するなどといわれます。また、素粒子は、波としての性質と、粒子としての性質を有しており、我々の意識が作用していないときは、波として挙動し、我々の意識が作用しているときは、粒子として挙動するなどともいわれます。あたかも、我々の意識が、波動エネルギーを物質化しているように説明される場合があるのですが、どうもこの説明が、私には、しっくりこないというか、腑に落ちないのです。
    宇宙には、時間も空間もないとよくいわれます。宇宙では、過去、現在、未来が同時に存在しており、無限のパラレルワールドのどこにフォーカスするかによって、次に体験する現実を決めている。地球上の3次元では、「時間」という概念をつくりだし、時間軸を一定方向に移動するという制限的ルールを守りながら3次元を体験していると理解すれば、時間が存在しないことに対しては納得できます。
    ところが、「空間」の場合、空間がないというのは、イメージしずらくなります。たとえば、地球の場合、銀河系の中の、太陽系の惑星で、太陽から所定の距離離れた位置で、太陽の周りを公転しながら自転している球体の惑星であるということは、空間という概念がなければ、イメージして理解するのが難しいと思います。そこで考えたのは、この宇宙を、肉体をもたずに体験する非物質世界と、肉体をもって体験する物質世界(半霊半物質世界を含む)に分けた場合、「空間」という概念は、物質世界を体験するために設けられた制限的ルールに過ぎないのではということでした。
    半霊半物質世界では、必ずしも、このルールに拘束される必要はないので、必要に応じて、空間を飛び越えて移動できるのではと思いました。
    地球という意識エネルギー体は、銀河系の中の、太陽系の惑星で、太陽の周りを公転しながら自転している惑星であるという役割を演じる意識エネルギー体であり、地球という物質を、我々の意識の中に投影して演じてくれているのではないかと思います。
    素粒子も、素粒子の役割を演じる意識エネルギー体であり、我々が意識したときに、素粒子という物質を、我々の意識の中に投影して演じてくれているのではないかと思います。
    ということで、物質は、「空間」の中でカタチとしてあらわるものですので、物質も、物質世界を体験するために設けられている約束事に過ぎないのではと感じています。それは、現在の3次元世界では、視覚、触覚などの五感で、それがあたかも存在しているがごとく感じているだけのものであり、実在はしていない。ですので、高次元の世界では、物質を通り抜けることができたり、瞬時に移動させたり、空間から突如として現れさせたりできるのではないかと思っています。
    私は、今、フラワー・オブ・ライフが、とても気になっており、これが宇宙を表しているのではと思っています。最も小さい円が、個としての自分の意識体であり、それが他の円である意識体とつながり、最も大きな円である意識体ともつながり、その最も大きな円である意識体は、最も小さい円である自分の意識体ともつながって、メビウスの環のように、無限ループを形成しているのではと思っています。
    長文になり、すみませんでした。自分の思っていることを表現できたので、すっきりしました。ありがとうございました。

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  3. haruさん、TOCさん、こんにちは。

    そうやって、各自が自分なりの視点からの探求を進めて行く事って大切ですよね。それを出し合う事によって、自分とは異なる視点や、それによって自分の視点的な個性に気付く事にもなります。

    きっと、近未来の教育の中には、こうした分野が取り込まれて行く事になるでしょうし、そのためにもこうして様々な探求・意見交換が社会に広がって行くといいですよね。(^-^)

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  4. 砂見こんにちわ。
    今日有る体験をしたので砂見さんのご意見も伺いたくてコメントを
    書かせて頂きました。
    今日、Twitter上で有る方と今後の世界のあり方について議論したんですね。
    私の意見は
    今まで世界を牛耳っていた富裕層の力が減り、現在の経済や政治のシステムも
    徐々に崩壊していって、代わりに調和の取れた愛を基調としたシステムへと
    向かって行くだろうと言う意見なのですが相手の方はその逆で
    一部の富裕層がいなくなっても他の人達が又その一部の富裕層に
    なろうとして争いを続け、結果的に同じ様な競争社会が出来ると言う
    意見でした。
    それで途中まで議論していてふと気付いたので議論を打ち切りました。
    どちらの意見が良い悪いでは無く、相手の方と私は向かっている次元や
    方向性が単に違だけでは無いか?と思ったからです。
    私は今後何十年か掛けて調和の取れた4次元に向かう事を望んでいますが
    相手の方は、3次元に残る事を選択しているので、4次元の様な調和の
    取れた世界は「単なる理想論だ!」で人類が進化するには何千年も掛かるだろうと
    言うのでは無いかと。
    相手の人にとっては、そう言った今まで通りの世界観を生きている訳で
    どっちが真実で正しいか何て誰にも言う権利はないですものね?
    砂見さんのご意見はどうでしょうか?

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    1. たかちゃんさん、こんにちは。

      前半を読ませて頂いて、返信として頭に浮かんだ内容が、後半にそのまま書かれていました。(^-^)

      まさに、その通りだと思います。私たちは、唯一の物質世界の中で、その同じ世界を経験している訳ではありません。

      唯一のエネルギー世界の中で、それぞれに異なる角度から、それぞれに物質的な経験をしています。そのため言われる通り、経験する未来もそれぞれであると言う事なんですね。

      そのため、生き方・価値観が異なれば、経験する世界も離れて行く事になります。今はそうした、特別な時間帯に入っているのだと言う事です。

      相手がこちらの考えに興味を持てば説明を重ねる事も良いのですが、打ち負かそうと言う姿勢であれば、それに付き合う必要はないんですね。

      そうする事で、それぞれが同じような価値観を持つ人たちのグループを形成して行く事になり、それぞれの異なるタイムラインへと離れて行く事になります。

      以前は私もそうした議論をする事がありましたが、今ではたかちゃんさんと同じように、激論によって相手を否定する事はしないように心がけています。

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  5. TOCさん、皆様

    おはようございます

    TOCさん、こちらこそよろしくお願いいたします。

    そうですね、言われていることは、納得できます。

    見方によって表現の仕方は異なりますけれども、要はすべては波動につきるということですよね。

    波動はエネルギーであり、世界には波動しかありませんから(^^)

    フラワー・オブ・ライフは、名前だけは聞いた記憶がありますが、知りませんでした。

    もしかして黄金比やフィボナッチ数列と関係しているのかもしれませんね。

    これらの概念は、いずれにしても、波動の干渉のパターンを言っているのであると思います。

    また、もしフラワー・オブ・ライフを根源から生命までの構造をあらわしているのであれば、
    それはエネルギーの循環のパターンであると思います。根源のエネルギー循環と同じ循環をここの生命も行っていますから、それは丁度フラワー・オブ・ライフの様に見ることも出来るのでしょう。

    フィボナッチ数列は、例えばひまわりの種のパターンに現れますがフラワー・オブ・ライフとよく似ています。

    一点、ぼくも若い頃は物質は振動数が低くなって出来てくると思い込んでいました。

    でもそれだとすると生きたまま、物質を纏ったままのアセンションの説明がつかないことに気づき、いろいろ探求してきました。
    その結果、物質という形は波動の重ね合わせによる干渉のパターンである、即ち波動そのものであり、干渉によってエネルギーが集中しますから、それを形として、物質として認識出来るといまは思っており電子本にもその理論を書いてあります。

    物質も波動が集まったものであり、波動に過ぎませんから意思でいくらでも自由に変えられます。干渉のパターンにより純粋波動から粒子性が生じ、物理世界を作っているという理論を電子本には書いてあります。

    唯ぼくのあたまでは、干渉のパターンの具体的な形までは、今は解明する手立てが出てきません。それが、フラワー・オブ・ライフであったり、バシャールの語るフィボナッチ数列であったりすると思っています。

    TOCさんも宇宙の成り立ちに大きな関心がありいろいろお考えがあるようにお見受けしますので、ちょっと詳しく返信してしまいました。ご参考になれば幸いです。

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