2019/10/31

引き寄せの法則

今回は「引き寄せの法則」について書いてみたいと思います。

その前にエネルギーの状況について少し書いておけば、今回の上昇は片頭痛に直結して来たので参ってしまったのですが、これまでに繰り返されて来たものに近い感じで治まって来ました。

ただ、波がおさまった後も、エネルギーの高まりが引いて行く感じがこれまで以上に無くなって来ています。つまり、エネルギーが上がったら上がりっぱなしで、あまり下がって治まる感じが少ないです。


さて、「スピリチュアル的な知識」と「日常的な現実」の間に乖離があったり、解離を引き寄せてしまう場合には、もしかしたら「引き寄せの法則」についての誤解釈があるのかも知れません。

例えば、日常的な現実の中で、一般的にネガティブと解釈されやすい出来事が起きた、あるいは起きそうな状況にあったとします。

これは、「神との対話」シリーズの中にあった話しだった様な気がするのですが、洪水で水位が上昇し始めた場所にある家の中に、ある信仰深い人がいました。

その人は、自分は信仰深いので、必ず神が助けてくれるはずだと信じていました。

そうした中、自動車で非難する途中の人が、「高台に行くから一緒に避難しよう」と声をかけてくれたのですが、その人は、私はキチンと神に祈っているから大丈夫と言ってその誘いを断りました。

水位は上昇し、1階が水の中に浸かったころ、ボートで非難して行く人が声をかけてくれました。「一緒に避難しよう。」

しかし、彼はやはり、私には神がついているから大丈夫だと言ってそれを断りました。

水はさらに上昇し、2階の屋根の上に登った彼の上をヘリコプターが通りかかり、一緒に避難するように誘ってくれたのですが、やはり彼は断りました。

そして、水位はさらに上昇し、結局彼は水に流されて溺れてしまったのです。

彼は天国で神様に訴えました。「なぜ、日頃からあんなにも熱心に信仰していたのに、私を助けてくれなかったのですか?」

神様は答えました。「何を言っているんだ、3度も助けに行ったではないか。1度目は自動車で、2度目はボートで、3度目はヘリコプターで。」

この時、信仰の対象を「神」から「引き寄せの法則」に置き換えてみて下さい。

私は「引き寄せの法則」を信じているから、嫌な事には目を向けないと言うのは、ある意味では正しくもあるのですが、状況によっては誤りでもあるのです。

例えば、自分の現実とは無関係の、殺人事件や事故等の報道に意識を向ける必要はありません。それは、自分が引き込まない限りは、自分の経験世界(日常現実)とは無関係の出来事であるからです。

先ほどの洪水のたとえで言えば、それは、別の地域で起こっている洪水のニュースであると言う事になります。つまり、自分の現実ではないですよね。

しかし、自分の現実において危機が迫っている場合、引き寄せの法則(神)は、様々な日常現実における素材を通じて、その人の波動に応じた助け船を引き寄せ続けているのです。

そうした、大難を小難へと切り替えていくためのメッセージをシッカリと受け止めて、自分の中で咀嚼し活用して行く必要があります。

引き寄せの法則が引き寄せる現実と言うのは、引き寄せたいと思っている現実が、丁寧に包装されて熨斗紙付きで「引き寄せの法則より」と記されて、いきなり差し出される訳ではありません。

引き寄せたい現実に繋がるための伏線が、繰り返し引き寄せられて来るのであって、それを丁寧に捉えて行く必要があるのです。

例えば、私たち自身の現実において、これまでの古い競争的な社会システムが崩壊し始めようとしていますよね。

こうした時に、あまりにも無防備に「私は引き寄せの法則を信じているから、見たくないものには目を向けない」と言うのでは、結果として救われないんですね。

だからと言って、そうした崩壊に意識を向けすぎて囚われ、恐れる必要はありません。それこそ、益々ネガティブな経験が引き寄せられることになってしまいます。

しかし、自らの現実に変化が迫っている以上は、いちおう、自らの知識に応じて常識的な備えくらいはしておく必要があるんですね。

繰り返しますが、決してそれに囚われてしまう必要はないのですが、自らの知識の範囲内で無理のない備えくらいはしておく必要があると言う事です。

そうする事によって、混乱が起きてもある程度の余裕を保ち、次のポジティブな選択を捉えて行く事が出来る様になります。

自らの波動に引き寄せられて来る現実と言うのは、基本的に「これだ!」とハッキリわかるものではありません。

更に言ってしまえば、自らに引き寄せられて来る現実と言うのは、「全て、引き寄せの法則によって引き寄せられている現実である」と言う事を忘れないで下さい。

今、引き寄せられている現実が、既に自らが引き寄せているものなのです。

経験の主体はあくまでも「自分自身」であり、たまたま目にした情報に過剰に委ねてしまう必要はありません。

あくまでも自分自身に主体を置いた上で、自分の現実に関係する情報は、それを上手く活用して行けるといいのかも知れませんね。


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