2019/11/03

エネルギー体と「呼吸法・祝詞」

これまでも、呼吸法や祝詞(マントラ)などと言うのは、とても重要なキーを握る何かであると言うこと自体は分かっていました。

しかし、それを自分に活かす方法と言うのが、サッパリと分かっていなかったのです。そこに何か重要な意味がある事を確信していながら、その何が重要なのか理解する事も感じる事も出来ていませんでした。

ところが、最近になって急にそれが分かって来たのです。特に、呼吸法に込められている意味が分かった事によって、自らのエネルギー体を育てる上での大きな推進力を得られたと感じています。


呼吸法や祝詞(のりと)、特に呼吸法は様々な情報によって、極めて重要性の高いものであると認識してはいました。

しかし、そうした情報に書かれている呼吸の仕方を試してみても、呼吸をしにくくなるだけで、それの何が重要であるのかサッパリと理解できずにいたのです。

そのため、「重要な事だとは分かっているけれど、今はまだそれに取り組む時期ではない」と言った認識で、心の片隅にどけてあったんですね。

しかし、最近になってそうした重要性をはじめに感じたのは、祝詞の方からでした。

寝転がって本(神示)を読んでいた時に、祝詞が書いてあったのですが、「こんなもの読む事で、何がどうなって効果が出るのだろう?」と思いながら、ボソボソと小さな声で読んでみたんですね。

そうしたら、変にボソボソと声に出したせいで、口先でサラサラッと読む感じではなく、ため息を付きながら読むような感じでお腹から低く震えるような感じで声が出ていたのです。

そうしたら、その振動がエネルギー体に広がって行くのが分かって、「ああ、音の振動の繋がりをエネルギー体に伝えるための手段が祝詞なんだ!」と言う事を感じました。

例えば「いろはにほへと・・・」と言う場合、「い」「ろ」「は」「に」・・・は全て振動(波動)が異なりますよね。その異なる波動の組み合わせによってエネルギー体を振動・刺激する事に意味があるのではないかと思えたのです。

ひふみ神示に、祝詞は口先ばかりでは意味が無く、宣る(神聖に宣言する)のだぞと言うような感じで書かれているのですが、ああ、こう言う方向性の中に表れてくる事なんだなと分かって来た様な気がします。

そして、それよりも遥かに大きな変化を起こすカギになりそうなのが、呼吸法です。

古いチャネリング情報を動画で見ていたら、「呼吸法によってマナを吸収してエネルギー体を活性化させる」と言うような事が言われていました。

マナとは自分の外側にあるエネルギーであって、それをエネルギー体の中に取り込む主な方法は、睡眠と呼吸法であると言われていたのです。

それを聞いて、「え~、呼吸法ってそう言う意味だったの!」と知りました。

一般的に呼吸法の解説では、色々な人やチャネリング情報によって、色々な方法が解説されています。

つまり、どういう事かと言うと、細かな方法に絶対的な決まりはなく、要は「呼吸と言う行為を利用することによって、エネルギーを取り込めば良い」のです。

そして、それならもう出来ている気がするぞと気づいたのです。

以前、読書に集中している時にふと気が付くと、「あれ?俺、ちゃんと呼吸してる?」って思う事が数回あったんですね。

その時に、してるのかしてないのか微妙な感じのその呼吸に、意識を集中すると、何か空気を呼吸している様な感じではないと感じられたのです。

そうした経験の延長で、エネルギー感覚の強くなって来た最近になって、空気2~3割、エネルギー7~8割くらいの比率で呼吸を探求して見て、「これは、エネルギー感覚が高まりやすいなぁ」と感じていました。

ただ、それは単にちょっと興味深い発見と言った感じで、それを呼吸法として認識してはおらず、一時的にエネルギー感覚が高まっても、それでエネルギー体を活性化して行けると言う認識は持っていませんでした。

しかし、それがいわゆる「呼吸法」であったのだと言う事だと思います。

それは、特別な集中力や努力を必要とするものではなく、今くらいにまで根本的なエネルギー感覚が高まっている状態であれば、意識する事で簡単に出来ます。

取り合えずは、夜寝る時や朝の布団の中にいる時間帯に、そうした呼吸法を習慣的に試してみようかと思っています。

それをすると、エネルギー体としての「全体的な感覚」が高まるんですね。そして、それを積み重ねる事には意味がある様なので続けてみようと言った感じです。

結局、これらの理解と言うのは、9年前に眉間やこめかみなどにエネルギー感覚が点として表れ始め、それが線・面・立体方向へと拡大を続け、エネルギー体としての全体像に触れ始めた今だからこそ理解できたのだと思います。

つまり、この世界での学びには、何にでもそれに見合ったタイミングと言うものがあると言う事なのかも知れません。

それは呼吸法・祝詞などに限っての話ではなく、誰にでも何にでも、必ず今の自分に適した学びがあると言う事だと思うんですね。

最近の私については、たまたまその1つが呼吸法・祝詞であったと言う事であって、必ず誰もが今の自分に合った学びの機会の中にいるのだと思います。今・ここにおいて。

そうした学びと言うのは、「今・ここ」に集中することで見えてくる事になります。

それが何かと分かっていなくても、それに繋がる学びの導火線(きっかけ)が、日常の中に必ずチラチラと見えているはずだと思います。

今回の私の場合、祝詞について言えば、ブツブツと祝詞を読んでみた事であり、呼吸法について言えば、過去に見たことのある長いチャネリング動画の一部を、たまたまチラッと見てみた事であったり。

既に今の地球上と言うのは、そうした学びを重ねる上での最高級の環境にまで達しています。だって、2019年の終盤ですよ。2012年冬至に地球がアセンションして、もう7年も過ぎてるんですよ。

それは、急ぐ必要があると言う意味では無いんですね。急いで未来に囚われると、「今・ここ」にある学びの種を見落としてしまう事になります。

大切なのは、「なかなか社会が変わらない・・・。」「アセンションはいつになったら起こるんだ・・・。」と、意識を自分の外側と言う虚空に向けてしまうのではなく、既に最高級の学びの場にいる事を自覚して、しっかりと「今・ここ」での内面的な学びに集中することが大切です。

それを進めるための素材として投影されているのが目の前の世界なんですね。逆ではないのです。(目の前の世界と言う)素材が(内面スピリチュアル的な)学びを進めてくれる訳ではありません。

高い教材や参考書を買っても、それだけで学びがはかどる訳ではないですよね。自分自身がそれを活かさなければ意味が無いのです。そして、最高の教材は、目の前の世界として、今さしだされているのです。

もちろんそうした取り組みは、義務でも責任でもなく、自分がそれを選択したければと言う前提での話にはなりますが。


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