2019/11/26

ディルティ

先日、夢の中で「ディルティ」と言う思想家の本を見て、これは凄く共感する本だと思いました。

気になって、起きてからメモしておいたのですが、過去にも2度、夢での言葉が印象的でメモを取ったりして後で調べたことがありました。

1度目は、神道系の様な施設に入って行って、言葉として聞いた訳ではないのですが、ある言葉が強く印象付けられ数日たっても忘れられませんでした。


そして、ネット検索して見たらある本の題名がヒットしたのです。

やはり、神道系の本であって、それを買って読んだのですが、その頃の自分にとって凄く支えになってくれました。確か、家庭問題でかなり苦戦していた時期だったと思います。

2度目は、龍に絡んだ経験が度々重なっていた時期でした。

夢の中で学校の教室に立っていて皆どこかへ移動している様な感じだったのですが、若い男の人が立ってまっすぐこっちを向き「我が名はギョクリュウ!」と大きな声で言ったんですね。

これは、やや覚醒夢の様なリアル感があって、凄くハッキリと聞こえました。

これはメモしておいて、やはり数日たってから思いついて検索したら、「玉龍」と言う龍の名前がヒットしてきました。

そして、今回の「ディルティ・思想家」なのですが、やっぱり検索して見たらヒットしたんですね。ほんの7件だったか9件だったかなんですけれど。

思想家と言う条件があったので、ヒットしないかなぁと思ったのですが、ちゃんとあったんですね。

でも、どの記事を読んでも、詳しいことは書かれていなくて、アルファベット表記での名前が出ていたのでそちらで検索して見たら、そこそこたくさんヒットしてきました。

どうもディルティと言うのは英語読みしたものの様なのですが、ドイツ人であってドイツ語読みすると、ディルタイと言う思想・哲学・歴史学等のそれなりに有名な人の様です。

主に1900年前後に活躍した人で、日本でも翻訳された本が今でも手に入るんですね。

それで、文庫本を買って取り合えずパラパラっと見てみたのですが、昭和初期の翻訳で、漢字が旧字体で読みにくいのですが、書いてあること自体は良くわかるんですね。

理解できると言うよりは、やはり凄く共感できると言った印象が強いです。物事の考え方や発想が、伝えようとしている事の核心が自分とまったく同じなんですね。

もちろん、もとになっている情報が今とは異なるので、そういう意味で表現、内容も自分とは異なるのですが、本質として核になる部分がまったく同じなんですね。

凄いと思いましたね。100年以上前ですから、インターネットなんて全然ない時代で、チャネリングから情報を得たりもしていないと思うんですね(分かりませんが)。

今の時代の様に情報が溢れている環境にあれば、「世界観」の重要性にも気づきやすいのですが、100年以上前の人がそれに気づいていると言うのは本当に凄いと思うのです。

何か、自分で書いたものを読んでいる様な感じがするんですね。半端なく馴染んで来るのです。

もしかしたら、過去生でも自分はそんな事を勉強しながら生きていたのかも知れないなぁと思えて来ました。

今、自分がこうした事を、自分なりにテンポよく吸収して行けるのは、過去生でもそれを積み重ねた人生が何度かあると言う事なのかも知れないと。

そう思ったら何か悲しくなって来て、「は~ぁ」と言った感じです。

6 件のコメント:

  1. こんにちは、旧「心の旅路」のharuです。お久しぶりです。興味深いお話ありがとうございます。ディルタイの名前ははじめて聞きました。wikiiで見るとヘーゲルの論評や、フッサール、ハイデッガーにも関係があるようです。「体験」という言葉が当時斬新だったようですね。砂見さんの経験とおなじですね。恐らく砂見さんと関係の深い人物なのでしょうね。そうでなければ夢のなかで名前まで知らせることはないと思います。砂見産が読まれたのは精神科学序説なのでしょうか。

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    1. haruさん、こんにちは。お久しぶりです。(^-^)

      そうですね、説明をチラッと見ると当時の有名な人の名前が色々と出てきますね。私はいわゆる学問として哲学や宗教・心理学などを学んだことが無いので誰もわからないのですが。なんか、雰囲気は感じられますよね。(笑)

      私が読んだと言うか、まだ、パラパラっと見た程度ですが、「世界観の研究」と言う薄い文庫本です。漢字が旧字体と言う点でかなり読みにくいのですが、内容と言うか内容的な雰囲気が、完全に自分にはピタリと一致します。自分が書いたものを校正で読み直している時の感覚です。

      旧字体に苦戦ですが、暇を見てボチボチ読み進めてみようと思っています。

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  2. 砂見さん(砂見様は、よそよそしいので、今後こう呼ばせていただきます(*^^*))、新たなブログ記事、ありがとうございます。
    今回の記事の中で、以前から砂見さんにお聞きしたいと思っていたことに関連する箇所を見つけ、びっくりしてしまいました。シンクロしてる~と思ってしまいました。以下の文章です。
    「何か、自分で書いたものを読んでいる様な感じがするんですね。半端なく馴染んで来るのです。」
    実はわたしも同じような経験があり、あるセミナーで出会った方に、以下の内容のメールを送ったことがあります。

    「最近、あれ~、ひょっとしてこれが真実かな~と思ったことがあります。電車の中で、サアラさんという方が最近書かれた本を読んでました。
    ふむふむ、そうだよな、やっぱそうだよな~、と妙に感心しながら読んでいました。
    そのとき、ふと、ひょっとしてこの書物は私のハートの意識が創り出しているのではないかと。
    他の人もこの本を読んでいると私は思っているけど、この本は私の創り出している現実の中でのみ存在しているのではないかと思いました。
    だから、この本の作者は、自分では認識することができない自分自身なのではないかと。
    後日、誰かとこの本について話をすることがあれば、その人と自分がつなっがたときに、
    この本の情報がながれて、その人がこの本を読んだことになるのではと思いました。」

    砂見さんは、どう思われますか。

    YouTubeの「バシャールの名言朗読」の「最後のメッセージ」の中にも、「アセンデッドマスターと呼ばれる人たち、チャネラーの言葉、そしてバシャールが語るメッセージは、あなたが語っているメッセージです。」という一文があり、ふむふむと思ってしまいます(#^.^#)

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    1. TOCさん、こんにちは。(^-^) 

      そうですね。1つの解釈として、そうした見方は成り立つと思います。

      魂としての視点が混ざった見方ですよね。

      話を深めようとすると、どうしても人間の脳では分かる事と分からない事が入り混じって来るので難しいのですが、「絶対的」ではなくて「1つの見方」として、そうした見方は成り立つと思います。

      よく、目の前の世界は「自分を映す鏡」であると言われますよね。それについてより踏み込んで行くと、そうした見方に繋がって行くと思います。

      ちょっと話を広げようとしたのですが、色々な意味で難しくてまとまりませんでした。

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    2. 砂見さん、返信いただきありがとうございます。
      コメントさせていただいてから、ず~とこのことを考えており、頭がこんがらがってしまいました。
      ただ先程、ひょっとしたら、こんな感じかなと思うことが浮かびました。
      物質世界は、自らの思考で創造しているので、読んでいる書物も自らの思考で創造しているのですが、その書物の内容は、アカシックレコードなどの源から無意識にダウンロードして作成されており、自分の意識を情報源として作成されているのではない。ただ、その情報あるいはそれに類似の情報が、すでに自分の意識の中にダウンロードされていたので、あたかも自分が書いたような感覚になったのかなと思いました。
      すみません。とりあえず、これで納得しておきます。

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    3. TOCさん、こんにちは。

      そうですね。ハッキリと言える事は、物質世界対応である「人間の脳」では、それを正しく理解する事は出来ないと言う事です。

      それでも、この世界の本質を感じるために提示された解釈が「目の前の世界は自分を映し出した鏡」であると言う事です。

      それでも一歩進んでその探求を深めようと言うのは、それに限らずエネルギー的な世界を感じ理解して行く上でとても大切な事だと思います。

      しかし、結局の結論は、人間の脳では理解できないエネルギー的な仕組みの領域の中へと消えて行ってしまいます。

      そうしたら、今度はまた方向を戻して、こうして得た世界観を利用しながら、どの様にして自らのより良い創造を進めて行こうかと動き始める事になるのだと思います。

      だけど、そうした方向にそこまで探求を深められる方って珍しいと思います。

      きっと、魂のルーツとして、高次元由来の個性的なものがあるのかも知れませんね。(^-^)

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