いよいよ始まったと言う感じが強くなって来ています。まだ、一般的にそれを認識できるような大暴落だとか銀行倒産が起きている訳ではないですが、完全に始まっていますね。
皆さん、準備はOKでしょうかね?今日明日にそれが一気に起こると言う見方ではなくて、週単位・月単位・年単位での流れを捉える様にして下さいね。
以前にも少しそんな事を書いたことがあるのですが、だいぶ前に「瞑想の仕方だとか、具体的な取り組みを書いて欲しい」と書いて頂いた事がありました。
その時は、書いて伝える事の難しい部分であり、各自が探求する中で感じて行く事が大切だと思うと言う様な回答をさせて頂いた記憶があります。
実際にそれはそれで、確かに今でもそう思う面はあります。あまりマニュアル化せずに、その人自身が主体になって探求する事はとても重要なんですね。
ただ、その一方で時間がたつほどに、言って頂いた様に「思想・世界観的なものを、現実の中に具体化させて行く方法」を伝える事の重要性が感じられてなりません。
今書いている電子書籍は、そうした事には触れていないのですが、「スピリチュアルな思想・世界観」と「日常現実」の間のズレが、いつまでたっても大きくズレたままでいる人が、思いのほか多いように感じられる事があります。
例えば、「趣味が大切」だと書いて来ましたが、今実際に「楽しくワクワクと育てている趣味がある」人はどれくらいいられるでしょうか?
金融・経済的に古いシステムが崩壊して行くと書いて来ましたが、今実際に「最低限の常識的な(無理のない)範囲内での備え」が完了している人はどれくらいいるでしょうか?
競争ではなく「人や自然と仲よく」する事がスピリチュアルだと書いて来ましたが、実際にそうした日常をコツコツと確実に育てている人がどれくらいいるでしょうか?
本やブログ等を色々と読んでたくさんの知識だけは蓄えたけれど、それ以上には自分を変えることはなく、後は社会や世界が変わってアセンションが起こるのを待っているだけと言った様な事はないでしょうか?
「調和が大切」だと知っているけれど、他人や自然と「調和出来ていない」と言う人は、「調和が大切」だと知らない人なのです。
私が良く使う、特に電子書籍の中では徹底的にこだわる部分なのですが、それは「思考の領域」で「知識」として知っているだけで、「信念の領域」における「常識・世界観」として知っていない(受け入れていない)と言う事なんですね。
行動が伴っていない人は、「信念の領域」にまでそれを受け入れ切っていないと言う事です。
これって、1回読んで理解した、もう分かったと言うものではないんですね。思考の領域での知識の話であればそれですむのですが、信念の領域に常識・世界観として受け入れると言うのはそう言う事ではないんですね。
私は重要だと思った文章は、何回も何十回も読み返します。
なるほどと思う所のあった動画は、何十回でも何百回でも見ます。
そうして「知っている」を「当たり前」に深めて行く事が大切なんですね。
スピリチュアルを「知っている」人はとても増えてきていると思うのですが、それを「当たり前」だと受け入れている人って、それに比べたらかなり少ないのかも知れません。
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